イベント開催報告
◆2025.6.24 Keswick旅行会
〈アメリカ好きな方、大集合!〉
〈アメリカ好きな方、大集合!〉
今回は、アメリカをテーマに開催しました。アメリカ在住歴もある参加者さんと共に、店主二人は古い記憶を引っ張り起こし、当時の写真を見たりしながら、思い出話を楽しく語り合いました。

【詳細な内容】
イベント2回目参加のTさん「コロナ以降は行ってないんですが、アメリカは新婚時代に住んでいました。主人はその前に10年ほど住んでいて、向こうで知り合って結婚し、それから3年くらい住んでいました。2001年のテロの1ヶ月前に結婚式を挙げたんです。崩壊した貿易センタービルの一番上のレストランで家族みんなで食事をして、写真も撮りました。それを思い出すたびに、鳥肌が立ちます。崩壊後にその場所に行ってみたら、まだ煙が出ていて、コンクリートが山積みになっていました。周囲には超高級ブランドの店がたくさんあって、その店の服がすべて、コンクリートの粉でグレー一色になっていました。主人の仕事にも影響して、一年か二年後に日本に戻ってきました。
住んでいたニュージャージーのハッケンサックはすごく良いところで、日本にはない雰囲気でした。アパートはレンガ作りの3階建てで、引っ越す時は大変でしたが、生活はすごく楽しくて、スーパーもアメリカ人用、イタリア人用、韓国人用、と使い分けてました。日本人向けのスーパーは便利なんですが、すごく高いんです。韓国人のスーパーは巨大で、納豆が売っていたのが嬉しかったですね。ニンニクとか唐辛子も、日本にはない大きさで売っていて、梅干しを漬けるような瓶にニンニクが入っていたりしました。
知り合いもたくさんできました。ガソリンスタンドはロシア人、クリーニング屋さんはフィリピン人が多かったです。いつも行くお店は決まっていたので、すごく仲良くなりました。日本を好きな人も多くて、日本の歌をたくさん知っているおじさんもいました。通っていた語学学校には南米、ロシア、ポーランド、インドなど、いろんな国の人がいました。ポーランド人も親日的でしたし、ロシア人は背が高くて、自分が子どもみたいに感じました。当時私はマイケル・ジャクソンにはまっていて、教室でマイケルダンスを踊ったらすごくウケました(笑)。
その後、子供が小1と小6の時に再訪して、その後、コロナ禍の少し前に、もう一度行きました。主人は仕事で毎年のようにアメリカに行っていて、来週も行く予定です。私も一緒に行きたいんですが、娘がいま高校生で、勉強や部活もあるので、主人のことをうらやましく思っています。
SNSで見る限り、アメリカも最近はちょっと変わったなって思いますね。私が住んでいた頃は、東京が世界で一番物価が高いと言われていましたが、今は日本の方が安くなっている感じです」
あでりー「マクドナルドが2~3,000円するらしいですね」
Tさん「ラーメンが4,000円くらいするっていう話も聞いて、もう当分行けないなあと思ってます。日本円がもうちょっと強くなれば……」
春名「一番最初にアメリカに行かれたのは、どういうきっかけだったんですか?」
Tさん「私の父が以前、商社に勤めていて、ヨーロッパに出張することも多く、英語が結構しゃべれたんです。だから私も小学生の頃から外国にすごく興味を持って、中学生のときは英語の授業が本当に楽しくて、洋楽を聞いたり、外国に住んでいる人のエッセイ本とかを読みあさってました。
それで高校一年生の時に、親の提案でサンディエゴにホームステイすることになりました。その後、自分の息子にも行かせたり、他の人の話も聞いたりしましたが、私がホームステイした家が一番素晴らしかったです。白人の家庭で、品があって、金髪の奥さんが毎日ハグしてくれて、すごく温かかったです。
次は大学生の時に、当時好きだった『ABロード』という雑誌を見て、自分でバイトしてためたお金で一ヶ月くらいニューヨークに行ったんです。マンハッタンじゃなくて、隣のロングアイランドでした。そこがまた素敵な場所で、お母さんは銀行員で、貫禄のある方でした。子どもが3人いて忙しい仕事をしていたのに、私が来てからしばらく仕事を休んで、近所のお店に私を紹介してくれたんです。本当の娘のように接してくれました」
春名「僕がアメリカに行ったのは、はるか昔の1998年、1999年、2001年の3回です。3回とも、すべて仕事の出張でした。最初の1998年は、ちょうど大きな仕事が終わった直後で、ご褒美的に部長クラスの人たちが参加するようなツアーに便乗させてもらったんです。フロリダのオーランドに行って、ディズニーワールドで少しだけ遊び、そのあとケネディ宇宙センターに行きました。いろんな宇宙船や、月へ行って戻ってきたカプセルが展示されていました。昔はそこでスペースシャトルを打ち上げていたので、スペースシャトルを作る工場や、遠くに見える発射台を見学しました。スペースシャトルを作る工場が巨大で、当時では世界で2番目に大きい建物だったんです。それで、その建物の中では気圧の差で雲ができて雨が降る、と聞かされて驚きました。スペースシャトルを運ぶ道路も車で走ったんですが、2~3車線ぐらいの道で、その道路に専用の巨大な運搬車のタイヤ1本が乗る、と聞いてまた驚きました。もしかしたら打ち上げも見られるかもと期待していたんですが、結局その日は打ち上げが中止になってしまいました。
次にニューヨークに行きました。レストランで食べたステーキが美味しかったことと、ワインボトルが樽のように大きかったのを覚えています。仕事の合間に、早起きして自由の女神だけでも見ておこうと思いい、バッテリーパークまで行って遠くから見てきました。
その後、ラスベガスで機材の展示会に行きました。昔のラスベガスは、大人の街、カジノの街というイメージでしたが、80年代終わりくらいからは、ファミリーでも楽しめる街になってきたんです。シルク・ドゥ・ソレイユとか、いろんなショーが開催されていて華やかでした。無料で見られるショーもたくさんあって、ただ街にいるだけで楽しい、という感じでした。
1999年はラスベガスだけで、同じようにショーを楽しみました。2001年もラスベガスでの仕事だったんですが、後輩と2人で事前に休みを取り、先にニューヨークに入ってからラスベガスに向かうというルートを取りました。前回のニューヨークは短い滞在だったので、今回はもう少し街を歩いたり、ミュージカルの『美女と野獣』を観たりしました。自由の女神も、フェリーで島まで渡り、後ろ姿の片足が上がっているのを発見したりしました。
ラスベガスに移動したあと、せっかくだからグランドキャニオンも見に行こう、とセスナ機で向かいました。あとで聞いたら、夕方とか朝焼けの景色がいいらしいんですね。僕らが行ったのは日中だったので、まあ暑いし、確かにきれいだけど、こんなもんかという印象でした」
あでりー「私がアメリカに行ったのはたしか2003年で、社員旅行でニューヨークを訪れました。現地での滞在は5日間くらいで、決まった予定以外は、全部フリー行動でした。その頃、私はペンギンにどっぷりハマっていたので、泊まっいてた5番街のホテルを拠点に、いわゆる“ペンギンツアー”をしてました。セントラルパーク動物園やニューヨーク水族館を訪れ、ブルックリンでは世界中にペンギングッズを販売しているお店に行ってグッズを買ったりしました。せっかくだからミュージカルも見ておきたくて、ブロードウェイの『オペラ座の怪人』や、オフブロードウェイの『ストンプ』を観に行きました。『ストンプ』では、主要キャスト5人のうちの一人が日本人女性で、『ありがとう!』って言ってくれて、めちゃくちゃかっこよかったです。短い滞在でしたけど、いろいろと楽しめました」
Tさん「2003年って、私にとっても本当に平和で、良い時期でした。独身時代、主人とはニューヨークで知り合ったんですよ。道を歩いていた時に出会って、彼は肌が黒かったので、最初は『南米の人かな?東南アジア系?』と思ってたら、日本人でした(笑)。
私はニューヨークのセントラルパークがすごく好きでした。主人と一緒にローラーブレードで滑ったり、ボーリングもよくやってました。ブルックリンの動物園も、サバンナみたいな広いところで、動物たちも生き生きしていて、すごく良かったです。
子どもたちと二回目に行ったときは、ニューヨークからラスベガス、ロサンゼルス、サンフランシスコと移動しました。ラスベガスでは、ワゴン車でグランドキャニオンに行くツアーに乗りました。グランドキャニオンの朝日は素晴らしかったですね。モニュメントバレーにも行って、元・インディアンの人たちが作った耳飾りを買いました。ホースシューベンドは、上から見ると川が馬の蹄みたいな形に曲がっているところでした。崖がすごい絶壁で、みんなそこに腰掛けたりしてるんですが、すごく怖かったです。それから、アンテロープ・キャニオンは、オレンジ色の縞模様みたいな岩で、ものすごく綺麗でした。本当に絵になる場所で、絶対行ったほうがいい場所です。ああいう壮大さはやっぱりアメリカならではですね」
春名「ニューヨークでは、美術館にも行かれました?」
Tさん「はい、私はMOMAが大好きで、美術館のショップも好きでした。アート作品がピアスになっていたり、そういうのを結構買い込んだんですけど、何度も引っ越ししているうちに失くしてしまいました」
住んでいたニュージャージーのハッケンサックはすごく良いところで、日本にはない雰囲気でした。アパートはレンガ作りの3階建てで、引っ越す時は大変でしたが、生活はすごく楽しくて、スーパーもアメリカ人用、イタリア人用、韓国人用、と使い分けてました。日本人向けのスーパーは便利なんですが、すごく高いんです。韓国人のスーパーは巨大で、納豆が売っていたのが嬉しかったですね。ニンニクとか唐辛子も、日本にはない大きさで売っていて、梅干しを漬けるような瓶にニンニクが入っていたりしました。
知り合いもたくさんできました。ガソリンスタンドはロシア人、クリーニング屋さんはフィリピン人が多かったです。いつも行くお店は決まっていたので、すごく仲良くなりました。日本を好きな人も多くて、日本の歌をたくさん知っているおじさんもいました。通っていた語学学校には南米、ロシア、ポーランド、インドなど、いろんな国の人がいました。ポーランド人も親日的でしたし、ロシア人は背が高くて、自分が子どもみたいに感じました。当時私はマイケル・ジャクソンにはまっていて、教室でマイケルダンスを踊ったらすごくウケました(笑)。
その後、子供が小1と小6の時に再訪して、その後、コロナ禍の少し前に、もう一度行きました。主人は仕事で毎年のようにアメリカに行っていて、来週も行く予定です。私も一緒に行きたいんですが、娘がいま高校生で、勉強や部活もあるので、主人のことをうらやましく思っています。
SNSで見る限り、アメリカも最近はちょっと変わったなって思いますね。私が住んでいた頃は、東京が世界で一番物価が高いと言われていましたが、今は日本の方が安くなっている感じです」
あでりー「マクドナルドが2~3,000円するらしいですね」
Tさん「ラーメンが4,000円くらいするっていう話も聞いて、もう当分行けないなあと思ってます。日本円がもうちょっと強くなれば……」
春名「一番最初にアメリカに行かれたのは、どういうきっかけだったんですか?」
Tさん「私の父が以前、商社に勤めていて、ヨーロッパに出張することも多く、英語が結構しゃべれたんです。だから私も小学生の頃から外国にすごく興味を持って、中学生のときは英語の授業が本当に楽しくて、洋楽を聞いたり、外国に住んでいる人のエッセイ本とかを読みあさってました。
それで高校一年生の時に、親の提案でサンディエゴにホームステイすることになりました。その後、自分の息子にも行かせたり、他の人の話も聞いたりしましたが、私がホームステイした家が一番素晴らしかったです。白人の家庭で、品があって、金髪の奥さんが毎日ハグしてくれて、すごく温かかったです。
次は大学生の時に、当時好きだった『ABロード』という雑誌を見て、自分でバイトしてためたお金で一ヶ月くらいニューヨークに行ったんです。マンハッタンじゃなくて、隣のロングアイランドでした。そこがまた素敵な場所で、お母さんは銀行員で、貫禄のある方でした。子どもが3人いて忙しい仕事をしていたのに、私が来てからしばらく仕事を休んで、近所のお店に私を紹介してくれたんです。本当の娘のように接してくれました」
春名「僕がアメリカに行ったのは、はるか昔の1998年、1999年、2001年の3回です。3回とも、すべて仕事の出張でした。最初の1998年は、ちょうど大きな仕事が終わった直後で、ご褒美的に部長クラスの人たちが参加するようなツアーに便乗させてもらったんです。フロリダのオーランドに行って、ディズニーワールドで少しだけ遊び、そのあとケネディ宇宙センターに行きました。いろんな宇宙船や、月へ行って戻ってきたカプセルが展示されていました。昔はそこでスペースシャトルを打ち上げていたので、スペースシャトルを作る工場や、遠くに見える発射台を見学しました。スペースシャトルを作る工場が巨大で、当時では世界で2番目に大きい建物だったんです。それで、その建物の中では気圧の差で雲ができて雨が降る、と聞かされて驚きました。スペースシャトルを運ぶ道路も車で走ったんですが、2~3車線ぐらいの道で、その道路に専用の巨大な運搬車のタイヤ1本が乗る、と聞いてまた驚きました。もしかしたら打ち上げも見られるかもと期待していたんですが、結局その日は打ち上げが中止になってしまいました。
次にニューヨークに行きました。レストランで食べたステーキが美味しかったことと、ワインボトルが樽のように大きかったのを覚えています。仕事の合間に、早起きして自由の女神だけでも見ておこうと思いい、バッテリーパークまで行って遠くから見てきました。
その後、ラスベガスで機材の展示会に行きました。昔のラスベガスは、大人の街、カジノの街というイメージでしたが、80年代終わりくらいからは、ファミリーでも楽しめる街になってきたんです。シルク・ドゥ・ソレイユとか、いろんなショーが開催されていて華やかでした。無料で見られるショーもたくさんあって、ただ街にいるだけで楽しい、という感じでした。
1999年はラスベガスだけで、同じようにショーを楽しみました。2001年もラスベガスでの仕事だったんですが、後輩と2人で事前に休みを取り、先にニューヨークに入ってからラスベガスに向かうというルートを取りました。前回のニューヨークは短い滞在だったので、今回はもう少し街を歩いたり、ミュージカルの『美女と野獣』を観たりしました。自由の女神も、フェリーで島まで渡り、後ろ姿の片足が上がっているのを発見したりしました。
ラスベガスに移動したあと、せっかくだからグランドキャニオンも見に行こう、とセスナ機で向かいました。あとで聞いたら、夕方とか朝焼けの景色がいいらしいんですね。僕らが行ったのは日中だったので、まあ暑いし、確かにきれいだけど、こんなもんかという印象でした」
あでりー「私がアメリカに行ったのはたしか2003年で、社員旅行でニューヨークを訪れました。現地での滞在は5日間くらいで、決まった予定以外は、全部フリー行動でした。その頃、私はペンギンにどっぷりハマっていたので、泊まっいてた5番街のホテルを拠点に、いわゆる“ペンギンツアー”をしてました。セントラルパーク動物園やニューヨーク水族館を訪れ、ブルックリンでは世界中にペンギングッズを販売しているお店に行ってグッズを買ったりしました。せっかくだからミュージカルも見ておきたくて、ブロードウェイの『オペラ座の怪人』や、オフブロードウェイの『ストンプ』を観に行きました。『ストンプ』では、主要キャスト5人のうちの一人が日本人女性で、『ありがとう!』って言ってくれて、めちゃくちゃかっこよかったです。短い滞在でしたけど、いろいろと楽しめました」
Tさん「2003年って、私にとっても本当に平和で、良い時期でした。独身時代、主人とはニューヨークで知り合ったんですよ。道を歩いていた時に出会って、彼は肌が黒かったので、最初は『南米の人かな?東南アジア系?』と思ってたら、日本人でした(笑)。
私はニューヨークのセントラルパークがすごく好きでした。主人と一緒にローラーブレードで滑ったり、ボーリングもよくやってました。ブルックリンの動物園も、サバンナみたいな広いところで、動物たちも生き生きしていて、すごく良かったです。
子どもたちと二回目に行ったときは、ニューヨークからラスベガス、ロサンゼルス、サンフランシスコと移動しました。ラスベガスでは、ワゴン車でグランドキャニオンに行くツアーに乗りました。グランドキャニオンの朝日は素晴らしかったですね。モニュメントバレーにも行って、元・インディアンの人たちが作った耳飾りを買いました。ホースシューベンドは、上から見ると川が馬の蹄みたいな形に曲がっているところでした。崖がすごい絶壁で、みんなそこに腰掛けたりしてるんですが、すごく怖かったです。それから、アンテロープ・キャニオンは、オレンジ色の縞模様みたいな岩で、ものすごく綺麗でした。本当に絵になる場所で、絶対行ったほうがいい場所です。ああいう壮大さはやっぱりアメリカならではですね」
春名「ニューヨークでは、美術館にも行かれました?」
Tさん「はい、私はMOMAが大好きで、美術館のショップも好きでした。アート作品がピアスになっていたり、そういうのを結構買い込んだんですけど、何度も引っ越ししているうちに失くしてしまいました」