イベント開催報告
◆2025.9.28 Keswickテーマトーク
〈「差別」をテーマに語り合いましょう〉
〈「差別」をテーマに語り合いましょう〉
カフェ常連ご利用のTさん御夫婦と共に、「差別」というテーマについて語り合いました。固いテーマにしたかもという危惧がありましたが、思った以上に話が弾み、まだまだいくらでも語り合える状況でした。
【詳細な内容】
春名「外国人差別について話すと、荷物の配達やコンビニの店員さんなど、最近はだいぶ外国の方も多くなりました。ですので、うまくやっていくしかないと思います」
Tさん「看護師さんもいますね。最近アップルテレビをよく見るんですけど、黒人の主役も多いです。そして大体、白人が悪役です」
春名「特にアメリカだと、どういう人種をどれだけ入れなきゃいけないとか、およその規約があると思います。昔はアメリカ映画の日本人は全員悪役でしたね(笑)」
Tさん「昔のプロレスだと、日本では外国人が悪役で、海外に行くと日本人が悪役になっていました。それならまだ公平だと思います」
春名「やはり多くの人が、なにか虐げる対象、自分の不幸をぶつける対象を欲しがっているんだと思います。とくにネットはひどい状況です」
Tさん「軽いうさばらしで相手を誹謗中傷したり、相手が自殺に追い込まれるような書き込みをしたりということがありますね。匿名だといくらでも書けるので、ずるいですよね」
Tさん「差別は別として、区別はないと困る時もありますね」
春名「本当にそうです。差別がいけないのはもちろんですが、その規制を強めていくと、今度は区別のところがおかしくなってきます。少し前に話題になりましたが、体は男性だけど性自認は女性という人が、女性用の公衆トイレや浴場に入っていいのかという問題がありました。僕も、女性にとってそれは抵抗があって当然じゃないかと思います」
あでりー「形態的に違うのはダメだと思います」
Tさん「トイレや浴場も、男性用、女性用、共用、というのが必要になりますかね」
春名「ただそうすると、そうやって分けるのがそもそも差別じゃないかという話も出てきて、差別の問題はなかなか議論がうまく進みません」
Tさん「昔、長野にある鹿教湯温泉によく行ったんですけど、露天風呂が混浴だったんです。私達も何回か入って結構話したりして、楽しかったんです。ところが、それではいけないということで、ある時から女性にバスタオルを用意するようになりました。そしたら妙に変なんですよ。なぜ女性だけバスタオルをしないといけないのかという気持ちになって、だんだん楽しくなくなりました。男性だけ何もないのも差別だと思いますし、以前の方が良かったと思います。暗いところだから別に見なきゃいいことですし、誰かが入ってくる時にはちょっと目をそむけておけばいいことだと思うんですが」
春名「裸で混浴ということに誰か一人でも嫌な人がいると、もうそれが基準になって、全体に規制をかけないといけなくなりますね」
Tさん「地下鉄で女性専用車両がありますが、うっかりそこの前に並んだりすると大変です」
春名「女性専用車両があるんだから男性専用もないと差別じゃないかという話もありますが、それはちょっと違うよと思います」
Tさん「ただ男性の中には、痴漢と疑われないよう手を上げている人がいて、そんな苦労をするんだったら男性専用車両を作ってほしいと思う人もいるかもしれません」
春名「確かにそうですね。間違えられたら大変ですから」
春名「Tさんはこれまで、女性差別を感じたことはありましたか?」
Tさん「給料が、男性職員と倍は違いました。男性は本社雇用で全国に転勤があって、女性は支社雇用だから、違いがあって当然なんですけど、仕事はほとんど一緒なのに倍も違うのはおかしいと思いました」
春名「僕の就職した1989年当時も、 総合職と一般職があって、総合職は僕を含め10人入ったうち女性は1人だけ、一般職は10人ぐらいで全員女性でした。総合職は確かに転勤もあって大変ですが、それでも給料が高いほうがいいと思う女性もいるはずで、なのにそれが許されないというか、道が険しい状況でした」
Tさん「女性にとっても、例えば子供がいる状況で転勤となっても困ってしまいます」
春名「それは確かにあります。僕もスタッフを雇うような立場だから気持ちはわかりますが、大企業は別として、どの会社も収支ギリギリでやっていると思うんです。だから、コストをかけて社員を育ててやっと一人前になる、でも女性だとやっぱり入社後4~5年で結婚したり子供が生まれて辞めるかもしれない。それを考えると、経営者側が女性を雇用することをためらう気持ちは、わからなくもないです」
Tさん「私も実際、1年早く子どもができた時に、『あなた、何年間は子供は作らないと言ってたじゃないですか』と言われました。それから今だと、産休や育休が連続して、ずっと不在なままで席だけあるという人もいますね」
春名「そうですね。それで給料だけずっと払わなきゃいけないというのは、経営側にとってはきついでしょうね」
Tさん「そうやって子供が生まれないと日本の国が成り立たないという事情もあって、難しいですね。ただ、会社がそれを負担するのも大変だと思います」
春名「社会的にそういう仕組みがないと厳しいですね」
あでりー「私も、就職を含め、女性差別を感じたことはあります。過去の事件でありましたが、大学の医学部の受験で、合格ラインに達しているのに女性というだけで不合格になったりしました。産休や育休にしても、もう少し寛容になるといいなと思います。休んでいる間の給料が厳しければ、席だけ置いておいて復職しやすいような環境になればいいのかなと思います」
Tさん「私の場合、復職できるという話だったはずが、アルバイトならいいけど社員での復職はできませんでした」
あでりー「うちの姉もそうなんです。正社員で働いていて、子供を2人産んで席を置いておいて、同じ条件で戻るというのが一般的な考えだと思いますが、実際にはパートの条件でしか復職できないと言われて、それで辞めました」
春名「そういう状況で、正社員として復職できるよう戦えば、最後には勝ち取れるかもしれないけど、それにはものすごいエネルギーがいるし、その後も居づらくなるでしょうね」
あでりー「もともと姉の立場も、その会社で確か初めての女性の正社員だったんです。会社にしてみればそういう経験もないし、寛容さもない、という感じでした」
春名「会社としては、その人が休職しても仕事は続けないといけないから、誰かを替わりに入れないといけない。その状態で何年か経って、前の人がポンと戻ってきてうまくいくかというと、難しいとは思います」
あでりー「それが外国だとうまくいってるところもありますよね」
春名「そうそう、なぜうまくいくんだろうと思います。外国は他にも、休みを一ヶ月くらい取って、なんで仕事がうまく回るのかと不思議になります」
Tさん「そもそも仕事の仕方が違うんじゃないでしょうか」
春名「たぶん日本は、余分な仕事をたくさんたくさんしてるんでしょうね。やらなくていいような仕事を」
Tさん「その人がいないとダメみたいな仕事が多いでしょう。前にいた会社で、引き出しの中のボールペンや書類の位置がみんな決まっていたんです。誰が次に来てもいいようにということで、だから何でも自分の好きなところに入れていいわけじゃなかったんです」
あでりー「前にいた職場の別の部署の人の話なんですが、女性が4人体制で、毎日、4人のうちの2人が出勤するという状態でした。それで、新しく入った女性が、子供さんが熱を出してよく休んでいたんです。他の人も女性だし子供を育てた経験があるから、『いいよいいよ』とみんなが許してくれてたんですが、そうなると休みの2人のうちの1人が出勤しなきゃいけません。でも休みには誰でも予定を入れているので、ある時、2人のうちの1人はどうしても無理だということで、もう1人が替わりにきたんです。その人は責任者の人で、その日お友達と旅行に行く予定だったんですが、それをキャンセルして出勤したんです。それは正直、どうなんだろうと思いましたね」
春名「でも、じゃあどうするかとなるとなかなか難しいです」
Tさん「私も、パートタイムの人でやっぱりそういう方がいましたが、2回続けて子どもさんが熱を出して休んで、クビになりました。いい人だったんですけど。パートさんは厳しいですね。正社員だったらクビにはならなかったかもしれません」
あでりー「そういった仕事と子供の関係は、核家族になって家制度が崩壊したのも大きいと思います」
Tさん「やっぱりおじいちゃんおばあちゃんの存在も必要なんですね」
あでりー「一緒に働いたことのある岡崎の人で、子供さんが熱を出した時には瀬戸にある実家の親に来てもらって、自分は仕事に行く、という人がいました。その人から見たら、子供が熱を出したから休みますという人に対しては、『私はこれだけやっているのに、なぜあなたはそれをしないの?』と言って怒ると思います。でもどちらが正しいんだろうというのは、私の中では疑問ですね」
Tさん「私はうどん屋さんで働いていた時に、熱の出た子供を一度置いて行ったことがありますが、すごく苦しかったです」
春名「今の話を会社の立場から考えると、そういうことが何人かあったとして、次に新しく人を取ろうという時に、女性はそういうことがあるから男性にしとこうかなっていう気持ちは、やっぱりわからなくもないんです。それを差別と言われると難しいですが……」
あでりー「私は30歳くらいの時に結婚して職を探そうとした時に、結婚した直後でその年齢だと、もうすぐ子供ができるかもということで、受けた会社、全部落ちました。面接に行っても全然相手にされず、人格を否定されている気がしました」
春名「そういった、社会の仕組みとして難しい部分もありますが、それとは別に、完全に女性をバカにして見下している人もたくさんいます。それはなかなか変わりません」
あでりー「逆もしかりですね。どうしても差別というと女性が弱い立場という風に思われますが、逆もいっぱいあるんです。たとえば日本の地下鉄の女性専用車両について、アメリカの女性が、それは差別だと言ったらしいです。私にはそれがすごく斬新で、確かに、と思いました」
春名「そこはまた難しいところで、だから男性専用車両も作るべきだとも言われますが、やはり女性には痴漢問題があって深刻に悩んでいる人も多いし、それを何とかしたいという昔からの強い願いがあって女性車両ができていると思います。だから僕は女性専用車両を作るのには賛成で、男性専用車両はそれほど必要はないと思っています」
あでりー「女性専用車両を作ることで、冤罪から男性を守れるところもありますね」
Tさん「疑われるのが嫌だから、ずっと手を上に上げている男性もいるらしいですね」
春名「僕も混んでいる車両に乗る時は、ちょっと緊張します。もし疑われて捕まったら、会社員だったら解雇されるでしょうし、一瞬のことで人生が変わってしまいます。元いた会社のコンプライアンスに関わる人から話を聞いたことがありますが、女性が『セクハラされた』と言えばもう事実になってしまうから、本当に気をつけないといけない、ということでした」
Tさん「今の会社では、『結婚したの?』とか聞いたり、ちゃんづけもダメだし、恋愛するのも難しいですね」
春名「今は、かなりの割合でマッチングアプリで結婚するらしいです」
Tさん「この前結婚した甥もマッチングアプリだそうです」
春名「ただ、過去に酷いセクハラを受けてきた人にしてみれば、今の時代は良くなったと言えるのかもしれません。飲み会に行ったら必ず隣に座らされて、お酌をさせらて、色んなところを触られたりするというのは、非常な苦痛だと思います。しかも、それをうまく処理するのが大人の女性、みたいに言われてしまう。だからそういうセクハラは無くすべきだと思うけれど、いざ規制化してしまうと、みんなが息苦しい社会になってしまう。難しいところです」
Tさん「自由恋愛がうまくできないのは悲しいことです」
春名「今の状況だと、そりゃあ結婚率も減るし、子供は減りますよ」
Tさん「性別による差別、区別の問題は大きいですね。いまはオムツに男性用がなくて、みんな共用なんですね」
あでりー「数年前に男性用が見切られて売られていて、なんでだろうと思っていましたが、そういう事情だったんですね」
Tさん「男性と女性は体型が違うから、オムツの形状も違って当然なんですが、男性も女性も一緒でないといけないという、なにか規制ができたのかもしれません」
春名「僕は、何かの被害者になった人の意見はものすごく極端になってしまう、ということをよく考えます。例えばレイプされた女性であれば、性に関すること全てを遠ざけたい、だから全てについて厳しくこの社会を取り締まってほしいと思うはずです。そういう声は強烈だからいろんなことを変えてしまうので、セクハラについても、少しでも性を匂わせるようなことは全てダメとなります。もちろん、被害を受けた人の気持ちは嘘じゃないでしょうし、別に社会を悪くしようと思っているわけではなく、逆に社会を良くしようと思って必死でその人達は運動して戦っているわけだから、そういう意見は確かに貴重なんですが、本当に極端になってしまうので、それを社会的な基準にすると今度は誰も幸せじゃなくなってしまう気がします」
Tさん「私は若い頃、通っているバスに乗っている男性の視線がすごく嫌だったことがありました。なるべく離れた席に座るんですが、たとえば私が後ろの席に座っていて、一番前にいるその人がずっと後ろを見て私の顔を見ているんです。明らかにおかしくて、けっきょく何もされませんでしたが、すごく嫌な暴力でした」
春名「そういうこともあるんですね。そこも難しくて、今の話について対策をするなら、『◯◯秒以上女性を見てはいけない』みたいなことにするしかならなくて、そうするとまたおかしな事態になる。でも、Tさんの嫌なお気持ちはよくわかります」
Tさん「すごく嫌でしたけど、それは法律では取り締まれないんですよね」
春名「会社の飲み会とか、どうでした?」
あでりー「私が最初に入った会社は、本当に昭和を引き継いでいるようなところで、新人の女の子は動いて当然、お酌して当然という感じでした。専務のセクハラもすごくて、『みんなに平等にセクハラしなきゃ不平等だ』というような人でした。ただ、育った環境もあると思うんですが、私の家では親戚が集まって飲むことが多くて、お酌をするのも普通だったから、それほど気になりませんでした。でも、そういう経験がない人からすると、『なぜ女性ばっかりさせるの』と差別に感じると思います。うちはそういう状況で、お酌も手酌も当たり前で、私の姉は職場の飲み会で、最初の乾杯の時に手酌をして驚かれたと言ってました」
Tさん「私は、お酌したことないです。飲み会では、ずっとご飯を食べてました。私の会社では、男性が上司に気を使ってお酌している感じでした」
春名「日本だとたぶん、女性がお酌するというのが大多数だったと思います。そういうことをそつなくこなすことが、いわゆる『女子力が高い』とされてきました」
Tさん「お茶当番は女性の仕事でしたね。朝も30分くらいは早く行ってお湯を沸かしたりして、おかしな差別だと思いつつ、それが当たり前だから気にはしていませんでした」
あでりー「私のいた会社でもそれは新人の仕事だったんですが、男女関係なくみんなで入れて、みんなで運ぶという感じでした」
Tさん「男女の差は、必ずあるんですよね」
あでりー「あって普通だと思います」
Tさん「だって筋肉量は男性の方がありますし。でも、重たいものを男性が持たないといけないのは、気の毒ですね」
春名「僕は、筋肉量や腕力が男性のほうが強いから、男性が重いものを持つことに抵抗はありません。例えば、10の荷物があったとして、7:3くらいで持つのは当然だと思っています。ただ、女性は力がないからと言って、男性が10を持つべきだという女性がいたらそれはおかしいと思いますが、7:3くらいは全然OKです。それは差別ではなくて区別だと思いますし、なんでもかんでも一緒にしようという動きには賛成できません。
それから、筋力の違いはありますが、男女の考え方や行動の違いって、僕は思うほどにはないと思っています。とくに僕らの時代だと、男は男、女は女という風に、子供の頃からそれぞれで作られていくんですよね。だから20歳ぐらいになった時に、やっぱり差や違いは出てきますが、それは単なる素養の違いであって、そもそも最初から同じように育てたら、そう変わらない気がします。女性は近視眼的といいますが、遠くまで見ている女性もいるし、男性ですごく細かく仕事をする人もいますし。たとえば、日本だと料理は女性が担当という印象ですが、プロの料理人は男性の方が多いくらいですから、女性のほうが料理が得意ということでもない気がするんです」
あでりー「やっぱりイメージが環境で作られているんですよね。たとえば走り方で、『女の子みたいな走り方してください』と言うと、こんな風に(実際の走る動きで表現)表現する人がいるじゃないですか。でも、実際女の子がどう走っているか見てみると、そんな走り方の人はいないんです」
春名「今はルッキズムと言って、美しい人を優先することが問題視されて、ビューティーコンテストをやめようという動きがありますが、僕は個人的にはビューティーコンテストはあってもいいと思っています。容姿の美しさは、その人の持っている魅力の一つではあると思うんです。例えば、アラン・ドロンを見てかっこいいと思う気持ちは嘘ではないし、それを否定することは無意味です。ビューティーコンテストを問題視する理由は、『じゃあ美しくない人は駄目なのか』ということでしょうが、別にそんなことを言ってるわけではなくて、顔が美しい人に対して『あなたは顔が美しい』と言っているだけです。それをいけないというのであれば、たとえば走るのが速い人や、フィギュアスケートで4回転を跳べる人を褒めることもできなくなります。人に対して何かしらのポイントで褒めることは、そうでない人をけなしているわけではありません。
それから、『けっきょく、綺麗な人は得だよね』とよく言われますが、全然そんな風にも思いません。綺麗な人が必ず幸せになるかというと、まったくそんなことはないと思うんです。若いうちはチヤホヤされて仕事も私生活もうまくいきますが、だからこそ自分を磨くこともなく年だけとっていきます。寄ってくるのは容姿目当ての男性ばかりで、でも綺麗な人は他にいくらでもいるわけだから、けっきょく大切にもされず遊ばれて終わりです。そして年を取ったら中身のない哀れな人間だけが残る。僕は男性でも女性でも、綺麗な容姿の人には最終的に不幸になるルートしか見えません。そういう人は、逆に何か業(ごう)を抱えて生まれたとさえ思っています。どこかの時点で、自分はこれじゃダメだ、自分の中身を磨かなきゃいけないと悟ってその道を選ばない限り、幸せになる方法はないと思います」
あでりー「スポーツ選手でも同じですね。デビューした時に華々しくもてはやされても、年ごとにどんどん若い世代が出てくるから、数年したらそちらに話題が移ってしまいます」
Tさん「演技の世界で子役が潰れてしまうのもそうですね」
春名「たしかに! そうやって引退した人の末路は惨めだったりしますね」
あでりー「犯罪に走る人もいますしね。歴史上で見ると、ハプスブルク家皇后のエリザベートというすごく綺麗な人がいて、皇太子は最初、彼女の姉と結婚する予定だったのに、エリザベートを見てあまりにも綺麗だから彼女と結婚したんです。当然、みんなにもてはやされて過ごすんですが、年を重ねるごとに恐怖を感じて、部屋に運動器具を並べてストイックに運動したり、美を保つために何かの生き血を飲んだり、あらゆることを試すんです」
春名「そういう人は、美しさしかアイデンティがないわけですから、本当に哀れだと思います。だから、顔さえ良ければと思う人はたくさんいますが、そんなことはないですよと言いたいです」
春名「差別の話に戻すと、出身地の差別もありますね。僕の姉が結婚する時なんかは、何代前までどういう人間だったかという家系図をお互いに交わすという慣習がありました」
Tさん「警察関係に就職する時には、遠い親戚まで身辺調査をされるそうです」
春名「僕は昔テレビ局に勤めていて、再放送の番組の内容を確認する仕事をしていたことがありました。放送禁止用語もチェックするんですが、よく思われるような性的な言葉などはごく一部で、いちばん大きかったのは差別用語、部落差別や身体障害者差別に関する言葉です。
たとえば、『四つに組む』という言葉がありますが、『四つ』に部落差別の意味合いがあるので、カットされます。むかし、被差別民のことを『四つ』と呼んでいて、それは『四つ足』、すなわち『動物』『畜生』という意味になるからだそうです。
昔の刑事ドラマとか時代劇には、そうした差別用語がたくさん出てきます。番組は当時、16mmのフィルムで放送していたんですが、フィルムの音声を消すには、音声部分を油性マジックで塗るんです。するともう元に戻せないから、他のテレビ局で音消しされたままでフィルムが回されてくるので、もう音消しだらけでした。
刑事ドラマでいちばん多かったのは、『トルコ風呂』で、やたらと出てきます。これもトルコ政府からクレームがついて、今は名称が変わりました。他にも、『片手落ち』という言葉も、片手がない人が見ているかもしれない、ということで放送禁止になります。むかし『バカチョンカメラ』という言葉があり、『バカでもチョンでも使える簡単なカメラ』ということですが、この『チョン』が朝鮮人を侮蔑する言葉だから駄目です。他にもたとえば、『民』という文字は、目を下から針で指す象形文字で、そうやって盲目にして奴隷にするという差別的な意味合いがあるそうです。だからこの文字は使ってはいけないという人がいますが、でもそんなこと言われても、と思いますよね。そういうのも言い始めたらギリがありません」
あでりー「そういう言葉も、聞かないでいると風化してしまって、差別用語かどうかもわからなくなりますね」
春名「朝鮮人差別には朝鮮総連という団体いて、部落差別については部落解放同盟がいて、そういう大きな団体が強烈が抗議をするから放送局は敏感で、いろいろ勉強をさせられました。でも、その時の講師の言葉で一番よく覚えているのが、『いろいろと言っちゃいけない言葉があるけれども、誰一人傷つけないような放送というのはないんですよ』というものでした。
たとえば、かわいい赤ちゃんの映像がテレビで映るとします。でも世の中には、子供がどうしても欲しいのにできないご夫婦とか、小さな子供を亡くした人もいて、そういう人がその映像を見たら絶対に傷つきますよね。だからと言って、『子供ができない人や子供を亡くした人が見ているかもしれないから、赤ちゃんのかわいい映像を放送するのはやめましょう』となったら、キリがなくなります。
それで最近僕は、差別はたくさんありますが、これからの世の中は『許せる限り許す』ということでしか、もう立ち行かなくなる気がしています」
Tさん「かなり壊れてしまっていますもんね」
あでりー「苦しいぐらいぎゅうぎゅうに締め付けられています」
春名「しかも、誰も幸せになってないですよね。許せる限り許すとなると、いろんな被害者の人や苦しんでいる人が反対するでしょうが、これからの世の中はそれしかないような気がしてるんです。
たとえばパワハラについても、上司が部下に対して本当にきつい言い方をするのは酷いと思いますし、それで傷ついたり自殺している人がいっぱいいて問題だとは思います。でもたとえば、明らかに駄目な社員がいて、その人に対して『おい駄目じゃないか』と言ったらもうそれがパワハラになってしまいます」
Tさん「もうちょっと頑張ってくれ、としか言いようがないです」
春名「そうですね。でも、『もうちょっと頑張ってくれ』くらいでも、パワハラだと言われそうです」
あでりー「小学校なんかでもそうですね。今は小学生の方が知識があるから、先生から何か言われたら即、パワハラということになってしまいます」
春名「先生は大変ですね。いまは、教師が小さな小学生に対して全員、『さん』付けで呼ばないといけないですけど、あれにも僕は違和感を覚えてしまいます」
春名「こうして話をしているような人たちは良識がありますが、本当に無邪気なくらいに差別をしている人もいますよね。さきほどのテレビ局の話をすると、視聴者センターという部署があって、視聴者からのいろんな意見やクレームに対応するんです。僕はその隣の部署にいたんですが、電話の声が聞こえてくるんですね。ある時、視聴者センターの部長のところに、朝鮮人の方から電話があってその応対をされていたんですが、電話を切るなりその部長が、『チョンコーの言うことなんか聞けるかよ!』と大声で叫んだんです」
Tさん「よっぽどストレスがたまっていたのかもしれませんね」
春名「たしかにそうですね。ひどい差別をする人も、完全に悪人ということもないんでしょうが、いろんなわだかまりが重なったのかもしれませんね」
Tさん「市役所に来る人で、一日居座って苦情を言い続けるという人もいました」
あでりー「そうやってお客様という立場を利用して、絶対相手が断れないだろうというところに行く人がいますね」
春名「カスタマーハラスメントですね」
あでりー「私の母親がNTTの104番の対応をしていた時に、酔っ払いが電話を掛けてきて、今から行くからなと言って本当に来て、散々当たり散らして帰ったという話を聞いたことがあります」
春名「どこかに何かをぶつけたい人はたくさんいて、その対象を見つけるや、そこに突進するという感じじゃないでしょうか。それが差別の一つのような気がします。
差別についてひとつ思うのは、黒人差別にしても他の差別にしても、差別されている側の中で差別構造があるんですよね。僕はアフリカに二回行ったことがありますが、黒人の中にも本当に真っ黒な人と、ちょっと浅黒い人ぐらいがいて、浅黒い人は真っ黒な人を『リアルブラック』と言って差別するんですよ。差別される苦しみをわかっていながら、より下のものを差別するという構造が必ずあるんですね」
Tさん「人間はどうしようもないですね……」
春名「インドに行った時も、向こうで知り合ったインド人が、普通にすごくいい人で仲良く喋ってたんですが、自分より下の人を当たり前のように見下すような言動をしたことがあって、『ああ、こういういい感じの人でも差別はするんだな』と思ったことがあります」
Tさん「生まれた時から差別のある環境でずっと暮らしているから、当たり前なんでしょうね。でも日本は面白いですよね、士農工商と言っても実際は商人が一番強かったですもんね」
春名「それで、士農工商の下に穢多(えた)・非人(ひにん)というのを作って、下を見て暮らせ、と言われたんですね」
Tさん「宿場町には必ずそうした穢多や非人がいたんですね。宿場には馬を走らせてくるから、そこで弱った馬を捨てて、次の新しい馬に乗り換えていくんです。それで馬の死体を片付ける仕事を、そうした人達が担当していたと聞きました」
春名「知り合いから聞いたんですが、田舎の方のお墓に行くと、そういう人の戒名に『玄田』という字が入ってたりするらしいです。二文字を合わせると『畜』という字になって、つまりは人間じゃない、ということになります」
Tさん「わざわざ戒名に入れるんですか? ひどいですね。人間は、差別をしたい動物なんですかね」
春名「そうですね。何かを差別しなければ生きていけないのかもしれませんね。そこにはいろんな事情があったりするので、外から見えるのとまた違うと思います。たとえばアメリカの黒人差別で、白人警官が黒人を撃ち殺した事件がありました。酷い話だと思います。ただ、白人と黒人はもう、どちらが悪いということもなくて、一方が攻撃したらもう一方が反撃して、そしたらまた相手に反撃するという繰り返しだから、どちらがどちらに対しても危険な存在でしかない。だから黒人にとって白人警官から何をされるか分からないのと同様、白人警官にしても黒人からの報復があるから何をされるかわからないのは同じです。そこで、黒人が集団で何か怪しいことをしていて、そこに白人警官が行って、相手の黒人がポケットに手を入れているとします。もしその黒人が銃を持っていて、指を少し動かして銃爪を引いたら自分の命が終わってしまう、そう考えたらもうまともな精神でいられず、やられる前にこちらから撃つしかないと思ってもしかたないところはあると思います。だから僕はいつも、『白人警官の側にも言い分はあるはずだ』と思っていて、それを聞かない限り似たような事件は終わらない気がします。ほんとに、世界のいろんないざこざがなくなってほしいと切実に思いながらなかなかなくならないですね」
あでりー「無意識でしている差別は絶対あるから、なかなか難しいところです」
春名「僕も外国人差別をしていないつもりだし、していない人間でありたいとは思いますが、例えばオリンピックで日本とどこかが戦っていて、日本頑張れって思うのは、これはなんだろうといつも思うんですよね。外国人だってみんな同じように頑張っているはずなのに」
Tさん「飛行機が墜落した時なんかも、日本人の乗客がいたかいなかったかと必ず言いますが、あれはどうしてだろうと昔から思っていました」
あでりー「私もそれはすごく疑問で、どこかで銃撃戦があった時でも、日本人がいたかいなかったという報道になりますね」
春名「まあそれはやはり、例えば僕の家族が乗っているかもしれない飛行機だったとしたら、犠牲者に日本人がいたかいなかったかというのは意味のある情報ではあると思います。考えるほど、差別の問題は難しいですね。愛国心はあって全然OKだと思うんですけど、じゃあ日本人ファーストと愛国心はどう違うんだろうと考えますね」
Tさん「桜の時期に伊賀川の向こうまで歩いたら、アジア系の女の子が二人、ベンチに座っていたんです。私達がその隣に、いいですか、と言って座ったら、その二人がすごく喜んでくれて、一緒に写真撮っていいですかと言ってくれました。ベトナムから来た方らしいです。それで一緒にお菓子を食べたりして、私は全然そういうのが気にならないです。でも、そういう外国人が来ると日本人が困ると言ったり、あからさまに早く国へ帰れと言う人がいますが、違うけどなぁと思います」
あでりー「もし本当に外国人の方が全員、自分の国に戻られたら、日本は回りませんからね」
Tさん「解体現場だと外国人が多いですね。会社が外国人を雇うと補助金がたくさん出るらしいんですね。それで外国人には安い給料で働かせて、会社には補助金が出るから結構いい思いをする。だから雇う、という話もあります」
あでりー「高齢者用施設の夜勤が外国人さんということもあります」
Tさん「夫が急に入院した時も、夜勤の看護師さんは外国の人でした」
あでりー「国際ナースの資格を持ってるんでしょうね。それはエリート中のエリートです。日本で活動しようと思うと、日本語も達者じゃないと駄目なんですよ。そういう人たちもいなくなっちゃうと、本当に立ち行かなくなります」
春名「自分と少しでも違う人はもう理解できない、排除したいということなんでしょうか。日本国内でも、岡崎の人だけ集まっている中に名古屋の人が入ってきたら、『あの人は名古屋の人だから』とかすぐに言われてしまいます」
Tさん「昔は、出身地の差別が歴然とあって、あからさまに口に出して言っていましたね。足を引きずっている子供に、先生がわざとその真似をして嫌がらせをしたり」
あでりー「その人たちは差別だと思っていなくて、それが当然なんですよね。ただ、そういう行為が差別だという認識が深まったのはいいことだと思います」
Tさん「同じ人間ですもんね。でも例えば、真っ黒な人が5人ぐらい一緒に入ってきたら、ちょっとドキッとしません?」
春名「それはありますね。僕はアフリカに行った時に、空港で知り合いのスタッフと待合せて旅行会社に行く予定だったんです。そこに会社のネームプレートを持った別のスタッフ二人が来て、『彼は病気になったから我々が来ました』と言われて、一緒に車に乗ったんです。でも考えると、その会社名のネームプレートなんて誰でも作れるし、それらしい日本人に声をかけて騙して車に乗せて連れ去ることは簡単にできるんです。そう思ってしまうと、その二人の黒い顔がすごく怖くなってきたんです。結果として何もなかったんですけど、そういう気持ちは僕の中にあるんだと気づきました」
あでりー「何かを恐れる時に、差別の気持ちが出てくると思うんです。私も自分でショックを受けたのが、コロナの時でした。最初中国から始まった病気だったから、その時の職場の同僚が『中国人に会いたくない、その人がウイルスを持っているかもしれない』という発言をした際、私も普通に同意してしまったんですよ。でもそれは、中国人=コロナを持っている人、という風に勝手に自分が思って差別しているだけだと気づいて、愕然としました。外国で日本人の演奏家が、日本人だというだけでコロナを持っているかもしれないと思われ、襲われて指を折られたりした事件がありましたが、私もそれと変わらないじゃないかと思いました」
春名「病気については、僕もありますね。エイズは血液感染だから、呼吸とか汗とかでは移らないんだけれど、たとえばエイズ患者の人とバスケットボールの試合をしたとして、もしかしたらその患者が怪我をして血が滲んでいて、試合中にその人の体に触れて感染するようなことは確率ゼロではないと想像すると、僕は躊躇すると思うし、それは差別なのかなと思います」
あでりー「そうやって具体的な相手が定まっていたらまだいいですが、中国で発生した病気だから中国人は全部ダメ、と考えるのが差別だと思うんです。でも、そう思ってしまう自分がいるんだと気付いた経験でしたね」
Tさん「私は子供の時、電車でゆずってもらった席が、外国人の隣だったんです。乗っている間ずっと、その人が拳銃を出すんじゃないかと思って怖かったです。西部劇の見過ぎなんですが(笑)。
万博の時に初めてインド人を見た時もびっくりしましたね。顔が大きくて色も黒いし、ターパンを巻いていたりして。カレーを食べようと思って行ったんですが、あまりに怖くて避けました。もう外国人にも馴れてきた頃のはずなんですが、やはり間近に見ると違いましたね」
Tさん「いまは、外国人を避けていたら道も歩けないですもんね」
あでりー「岡崎でも普通に見かけるようになりました。コンビニの店員さんでもいらっしゃいますね。それで、 日本語が流暢なんですよ」
Tさん「母国語も英語も日本語も喋れるし、感心しちゃいますね」
春名「それでも、同じ職場に外国人がいて、何かちょっと習慣が違ったりすると、すぐにそこで差別をします。人間は誰かを標的にして、その人の悪口を言い合うことで絆が深まるということがあると思うんです。共通敵を作ってそれに対して団結する、敵の敵は味方、の論理ですね。飲み会が悪口大会になるのは、悪口を言うと連帯感が生まれるような気がするんですよね。それが差別の要因の一つかなと思います。
外国人に何か問題なところがあったとして、その特性がその人種全体を表しているわけではないのに、一人から全体を判断するということもあります。人間は因果関係を簡単につけようとする癖があって、たとえば『インド人だからうまくいかない』という風に理由をつけたがる。それが全部、偏見と差別につながっていくと思います」
Tさん「そうやって一つにくくってしまうと、楽ですからね」
春名「この国の人はこういう性格だ、みたいなことがよく言われますが、僕はいろんな国に行って思うのは、いろんな人がいるなぁということだけです。僕は岡崎に住んでもう15年くらいになりますが、『岡崎の人ってどういう人ですか』と聞かれても、わからないです。いろんな人がいるから。みんなよく、岡崎の人はこうだ、名古屋の人はこうだと言いますが、全然当たってないと思います。いろんな人がいるだけですよ。誰か特徴的な一人とか二人のことを指して、全体を指しているだけだと思います。だからよく中国人を悪く言う人は多いですが、僕が中国に行った時、出会った人はいい人ばかりで、嫌な思いは全くしませんでした。逆に、イギリスの人は紳士だと言うけど、紳士じゃない人もいっぱいいました」
あでりー「紳士のはずのタクシードライバーは最悪でした」
春名「それはどこの国にだって悪い人はいるでしょうが、日本人だって悪い人はいっぱいいるわけです」
あでりー「なかなか差別はなくなりませんが、それを知った上で気をつけるのが大切かなと思います」
Tさん「自分が差別の心を持っていると、相手もそう思うんじゃないでしょうか」
春名「最近は宅配のドライバーさんに外国の人が多くて、届けてくれた時にはなるべく笑顔で接して、ありがとうと言うようにしています」
あでりー「みんな、自分が思っているイメージがあって、それに当てはまらないと『なんで?』という感じになって差別につながることもあります。その意味では、自分でもいろんなところで差別をしている気がします。たとえば高齢者差別が生まれる背景として、いろんな世代の方と話す機会が減っていることが挙げられます。私の世代でも、お年寄りと一緒に暮らした経験がある人が少なくて、今だとさらに少なくなっています。一緒に暮らしていると、自然に分かることがいっぱいあるんですね。私も祖母と暮らして、いいところもあれば裏の顔もあったり、いろんな姿を見てきました。だから、高齢者の人で、表面的にはいい人なんだけど裏ではこういう面がある、という現場を見たとしても、『まあそういうこともあるででしょう』としか思いませんが、そういうことを全く知らない人からすれば、『高齢者はこんなに酷いのか』と思うかもしれません。やはり、接する機会が失われているのも差別につながっているのかなと思います」
Tさん「核家族化がいろんなことを壊しているんでしょうか。私は、父方の家は大きな家で、いろんな人が同居してたんですよ。おじいさんが病気で寝ていたり、いろんな親戚の人が同居してたりましたが、それが普通だと思ってました。けっこう面白かったですよ」
春名「僕が子供の頃はクラスに外国人はいませんでしが、今ならクラスに数人くらいはいて、普通に交流してるでしょうから、そういう子供達が大人になったら、違和感なく外国人を受け入れられるようになるかもしれません」
あでりー「高校の時に一人、肢体不自由な子と3年間同じクラスだったんです。いちおう自力で歩くことができたんですが、やっぱり歩くのは遅いし、階段を歩くのも大変だし、ということで、教室移動のときその子と一緒に行ったりしていました。コミュニケーションがうまい子だったので、クラス全員と仲良しで、卒業旅行も5~6人で金沢に一緒に行きました。兼六園に入る時にその子が言った一言が面白くて、障害者手帳を持っていると無料で入れるんですが、その子が『ラッキー!』と言って入っていったんです。『ラッキー』という発想もあるのかと驚きました。いろんないざこざもありましたが、今思うといいことをたくさん教えてもらえたなと思います。彼女はその後、東京の障害者関係の施設で施設長になったそうです」
Tさん「素晴らしいですね」
Tさん「看護師さんもいますね。最近アップルテレビをよく見るんですけど、黒人の主役も多いです。そして大体、白人が悪役です」
春名「特にアメリカだと、どういう人種をどれだけ入れなきゃいけないとか、およその規約があると思います。昔はアメリカ映画の日本人は全員悪役でしたね(笑)」
Tさん「昔のプロレスだと、日本では外国人が悪役で、海外に行くと日本人が悪役になっていました。それならまだ公平だと思います」
春名「やはり多くの人が、なにか虐げる対象、自分の不幸をぶつける対象を欲しがっているんだと思います。とくにネットはひどい状況です」
Tさん「軽いうさばらしで相手を誹謗中傷したり、相手が自殺に追い込まれるような書き込みをしたりということがありますね。匿名だといくらでも書けるので、ずるいですよね」
Tさん「差別は別として、区別はないと困る時もありますね」
春名「本当にそうです。差別がいけないのはもちろんですが、その規制を強めていくと、今度は区別のところがおかしくなってきます。少し前に話題になりましたが、体は男性だけど性自認は女性という人が、女性用の公衆トイレや浴場に入っていいのかという問題がありました。僕も、女性にとってそれは抵抗があって当然じゃないかと思います」
あでりー「形態的に違うのはダメだと思います」
Tさん「トイレや浴場も、男性用、女性用、共用、というのが必要になりますかね」
春名「ただそうすると、そうやって分けるのがそもそも差別じゃないかという話も出てきて、差別の問題はなかなか議論がうまく進みません」
Tさん「昔、長野にある鹿教湯温泉によく行ったんですけど、露天風呂が混浴だったんです。私達も何回か入って結構話したりして、楽しかったんです。ところが、それではいけないということで、ある時から女性にバスタオルを用意するようになりました。そしたら妙に変なんですよ。なぜ女性だけバスタオルをしないといけないのかという気持ちになって、だんだん楽しくなくなりました。男性だけ何もないのも差別だと思いますし、以前の方が良かったと思います。暗いところだから別に見なきゃいいことですし、誰かが入ってくる時にはちょっと目をそむけておけばいいことだと思うんですが」
春名「裸で混浴ということに誰か一人でも嫌な人がいると、もうそれが基準になって、全体に規制をかけないといけなくなりますね」
Tさん「地下鉄で女性専用車両がありますが、うっかりそこの前に並んだりすると大変です」
春名「女性専用車両があるんだから男性専用もないと差別じゃないかという話もありますが、それはちょっと違うよと思います」
Tさん「ただ男性の中には、痴漢と疑われないよう手を上げている人がいて、そんな苦労をするんだったら男性専用車両を作ってほしいと思う人もいるかもしれません」
春名「確かにそうですね。間違えられたら大変ですから」
春名「Tさんはこれまで、女性差別を感じたことはありましたか?」
Tさん「給料が、男性職員と倍は違いました。男性は本社雇用で全国に転勤があって、女性は支社雇用だから、違いがあって当然なんですけど、仕事はほとんど一緒なのに倍も違うのはおかしいと思いました」
春名「僕の就職した1989年当時も、 総合職と一般職があって、総合職は僕を含め10人入ったうち女性は1人だけ、一般職は10人ぐらいで全員女性でした。総合職は確かに転勤もあって大変ですが、それでも給料が高いほうがいいと思う女性もいるはずで、なのにそれが許されないというか、道が険しい状況でした」
Tさん「女性にとっても、例えば子供がいる状況で転勤となっても困ってしまいます」
春名「それは確かにあります。僕もスタッフを雇うような立場だから気持ちはわかりますが、大企業は別として、どの会社も収支ギリギリでやっていると思うんです。だから、コストをかけて社員を育ててやっと一人前になる、でも女性だとやっぱり入社後4~5年で結婚したり子供が生まれて辞めるかもしれない。それを考えると、経営者側が女性を雇用することをためらう気持ちは、わからなくもないです」
Tさん「私も実際、1年早く子どもができた時に、『あなた、何年間は子供は作らないと言ってたじゃないですか』と言われました。それから今だと、産休や育休が連続して、ずっと不在なままで席だけあるという人もいますね」
春名「そうですね。それで給料だけずっと払わなきゃいけないというのは、経営側にとってはきついでしょうね」
Tさん「そうやって子供が生まれないと日本の国が成り立たないという事情もあって、難しいですね。ただ、会社がそれを負担するのも大変だと思います」
春名「社会的にそういう仕組みがないと厳しいですね」
あでりー「私も、就職を含め、女性差別を感じたことはあります。過去の事件でありましたが、大学の医学部の受験で、合格ラインに達しているのに女性というだけで不合格になったりしました。産休や育休にしても、もう少し寛容になるといいなと思います。休んでいる間の給料が厳しければ、席だけ置いておいて復職しやすいような環境になればいいのかなと思います」
Tさん「私の場合、復職できるという話だったはずが、アルバイトならいいけど社員での復職はできませんでした」
あでりー「うちの姉もそうなんです。正社員で働いていて、子供を2人産んで席を置いておいて、同じ条件で戻るというのが一般的な考えだと思いますが、実際にはパートの条件でしか復職できないと言われて、それで辞めました」
春名「そういう状況で、正社員として復職できるよう戦えば、最後には勝ち取れるかもしれないけど、それにはものすごいエネルギーがいるし、その後も居づらくなるでしょうね」
あでりー「もともと姉の立場も、その会社で確か初めての女性の正社員だったんです。会社にしてみればそういう経験もないし、寛容さもない、という感じでした」
春名「会社としては、その人が休職しても仕事は続けないといけないから、誰かを替わりに入れないといけない。その状態で何年か経って、前の人がポンと戻ってきてうまくいくかというと、難しいとは思います」
あでりー「それが外国だとうまくいってるところもありますよね」
春名「そうそう、なぜうまくいくんだろうと思います。外国は他にも、休みを一ヶ月くらい取って、なんで仕事がうまく回るのかと不思議になります」
Tさん「そもそも仕事の仕方が違うんじゃないでしょうか」
春名「たぶん日本は、余分な仕事をたくさんたくさんしてるんでしょうね。やらなくていいような仕事を」
Tさん「その人がいないとダメみたいな仕事が多いでしょう。前にいた会社で、引き出しの中のボールペンや書類の位置がみんな決まっていたんです。誰が次に来てもいいようにということで、だから何でも自分の好きなところに入れていいわけじゃなかったんです」
あでりー「前にいた職場の別の部署の人の話なんですが、女性が4人体制で、毎日、4人のうちの2人が出勤するという状態でした。それで、新しく入った女性が、子供さんが熱を出してよく休んでいたんです。他の人も女性だし子供を育てた経験があるから、『いいよいいよ』とみんなが許してくれてたんですが、そうなると休みの2人のうちの1人が出勤しなきゃいけません。でも休みには誰でも予定を入れているので、ある時、2人のうちの1人はどうしても無理だということで、もう1人が替わりにきたんです。その人は責任者の人で、その日お友達と旅行に行く予定だったんですが、それをキャンセルして出勤したんです。それは正直、どうなんだろうと思いましたね」
春名「でも、じゃあどうするかとなるとなかなか難しいです」
Tさん「私も、パートタイムの人でやっぱりそういう方がいましたが、2回続けて子どもさんが熱を出して休んで、クビになりました。いい人だったんですけど。パートさんは厳しいですね。正社員だったらクビにはならなかったかもしれません」
あでりー「そういった仕事と子供の関係は、核家族になって家制度が崩壊したのも大きいと思います」
Tさん「やっぱりおじいちゃんおばあちゃんの存在も必要なんですね」
あでりー「一緒に働いたことのある岡崎の人で、子供さんが熱を出した時には瀬戸にある実家の親に来てもらって、自分は仕事に行く、という人がいました。その人から見たら、子供が熱を出したから休みますという人に対しては、『私はこれだけやっているのに、なぜあなたはそれをしないの?』と言って怒ると思います。でもどちらが正しいんだろうというのは、私の中では疑問ですね」
Tさん「私はうどん屋さんで働いていた時に、熱の出た子供を一度置いて行ったことがありますが、すごく苦しかったです」
春名「今の話を会社の立場から考えると、そういうことが何人かあったとして、次に新しく人を取ろうという時に、女性はそういうことがあるから男性にしとこうかなっていう気持ちは、やっぱりわからなくもないんです。それを差別と言われると難しいですが……」
あでりー「私は30歳くらいの時に結婚して職を探そうとした時に、結婚した直後でその年齢だと、もうすぐ子供ができるかもということで、受けた会社、全部落ちました。面接に行っても全然相手にされず、人格を否定されている気がしました」
春名「そういった、社会の仕組みとして難しい部分もありますが、それとは別に、完全に女性をバカにして見下している人もたくさんいます。それはなかなか変わりません」
あでりー「逆もしかりですね。どうしても差別というと女性が弱い立場という風に思われますが、逆もいっぱいあるんです。たとえば日本の地下鉄の女性専用車両について、アメリカの女性が、それは差別だと言ったらしいです。私にはそれがすごく斬新で、確かに、と思いました」
春名「そこはまた難しいところで、だから男性専用車両も作るべきだとも言われますが、やはり女性には痴漢問題があって深刻に悩んでいる人も多いし、それを何とかしたいという昔からの強い願いがあって女性車両ができていると思います。だから僕は女性専用車両を作るのには賛成で、男性専用車両はそれほど必要はないと思っています」
あでりー「女性専用車両を作ることで、冤罪から男性を守れるところもありますね」
Tさん「疑われるのが嫌だから、ずっと手を上に上げている男性もいるらしいですね」
春名「僕も混んでいる車両に乗る時は、ちょっと緊張します。もし疑われて捕まったら、会社員だったら解雇されるでしょうし、一瞬のことで人生が変わってしまいます。元いた会社のコンプライアンスに関わる人から話を聞いたことがありますが、女性が『セクハラされた』と言えばもう事実になってしまうから、本当に気をつけないといけない、ということでした」
Tさん「今の会社では、『結婚したの?』とか聞いたり、ちゃんづけもダメだし、恋愛するのも難しいですね」
春名「今は、かなりの割合でマッチングアプリで結婚するらしいです」
Tさん「この前結婚した甥もマッチングアプリだそうです」
春名「ただ、過去に酷いセクハラを受けてきた人にしてみれば、今の時代は良くなったと言えるのかもしれません。飲み会に行ったら必ず隣に座らされて、お酌をさせらて、色んなところを触られたりするというのは、非常な苦痛だと思います。しかも、それをうまく処理するのが大人の女性、みたいに言われてしまう。だからそういうセクハラは無くすべきだと思うけれど、いざ規制化してしまうと、みんなが息苦しい社会になってしまう。難しいところです」
Tさん「自由恋愛がうまくできないのは悲しいことです」
春名「今の状況だと、そりゃあ結婚率も減るし、子供は減りますよ」
Tさん「性別による差別、区別の問題は大きいですね。いまはオムツに男性用がなくて、みんな共用なんですね」
あでりー「数年前に男性用が見切られて売られていて、なんでだろうと思っていましたが、そういう事情だったんですね」
Tさん「男性と女性は体型が違うから、オムツの形状も違って当然なんですが、男性も女性も一緒でないといけないという、なにか規制ができたのかもしれません」
春名「僕は、何かの被害者になった人の意見はものすごく極端になってしまう、ということをよく考えます。例えばレイプされた女性であれば、性に関すること全てを遠ざけたい、だから全てについて厳しくこの社会を取り締まってほしいと思うはずです。そういう声は強烈だからいろんなことを変えてしまうので、セクハラについても、少しでも性を匂わせるようなことは全てダメとなります。もちろん、被害を受けた人の気持ちは嘘じゃないでしょうし、別に社会を悪くしようと思っているわけではなく、逆に社会を良くしようと思って必死でその人達は運動して戦っているわけだから、そういう意見は確かに貴重なんですが、本当に極端になってしまうので、それを社会的な基準にすると今度は誰も幸せじゃなくなってしまう気がします」
Tさん「私は若い頃、通っているバスに乗っている男性の視線がすごく嫌だったことがありました。なるべく離れた席に座るんですが、たとえば私が後ろの席に座っていて、一番前にいるその人がずっと後ろを見て私の顔を見ているんです。明らかにおかしくて、けっきょく何もされませんでしたが、すごく嫌な暴力でした」
春名「そういうこともあるんですね。そこも難しくて、今の話について対策をするなら、『◯◯秒以上女性を見てはいけない』みたいなことにするしかならなくて、そうするとまたおかしな事態になる。でも、Tさんの嫌なお気持ちはよくわかります」
Tさん「すごく嫌でしたけど、それは法律では取り締まれないんですよね」
春名「会社の飲み会とか、どうでした?」
あでりー「私が最初に入った会社は、本当に昭和を引き継いでいるようなところで、新人の女の子は動いて当然、お酌して当然という感じでした。専務のセクハラもすごくて、『みんなに平等にセクハラしなきゃ不平等だ』というような人でした。ただ、育った環境もあると思うんですが、私の家では親戚が集まって飲むことが多くて、お酌をするのも普通だったから、それほど気になりませんでした。でも、そういう経験がない人からすると、『なぜ女性ばっかりさせるの』と差別に感じると思います。うちはそういう状況で、お酌も手酌も当たり前で、私の姉は職場の飲み会で、最初の乾杯の時に手酌をして驚かれたと言ってました」
Tさん「私は、お酌したことないです。飲み会では、ずっとご飯を食べてました。私の会社では、男性が上司に気を使ってお酌している感じでした」
春名「日本だとたぶん、女性がお酌するというのが大多数だったと思います。そういうことをそつなくこなすことが、いわゆる『女子力が高い』とされてきました」
Tさん「お茶当番は女性の仕事でしたね。朝も30分くらいは早く行ってお湯を沸かしたりして、おかしな差別だと思いつつ、それが当たり前だから気にはしていませんでした」
あでりー「私のいた会社でもそれは新人の仕事だったんですが、男女関係なくみんなで入れて、みんなで運ぶという感じでした」
Tさん「男女の差は、必ずあるんですよね」
あでりー「あって普通だと思います」
Tさん「だって筋肉量は男性の方がありますし。でも、重たいものを男性が持たないといけないのは、気の毒ですね」
春名「僕は、筋肉量や腕力が男性のほうが強いから、男性が重いものを持つことに抵抗はありません。例えば、10の荷物があったとして、7:3くらいで持つのは当然だと思っています。ただ、女性は力がないからと言って、男性が10を持つべきだという女性がいたらそれはおかしいと思いますが、7:3くらいは全然OKです。それは差別ではなくて区別だと思いますし、なんでもかんでも一緒にしようという動きには賛成できません。
それから、筋力の違いはありますが、男女の考え方や行動の違いって、僕は思うほどにはないと思っています。とくに僕らの時代だと、男は男、女は女という風に、子供の頃からそれぞれで作られていくんですよね。だから20歳ぐらいになった時に、やっぱり差や違いは出てきますが、それは単なる素養の違いであって、そもそも最初から同じように育てたら、そう変わらない気がします。女性は近視眼的といいますが、遠くまで見ている女性もいるし、男性ですごく細かく仕事をする人もいますし。たとえば、日本だと料理は女性が担当という印象ですが、プロの料理人は男性の方が多いくらいですから、女性のほうが料理が得意ということでもない気がするんです」
あでりー「やっぱりイメージが環境で作られているんですよね。たとえば走り方で、『女の子みたいな走り方してください』と言うと、こんな風に(実際の走る動きで表現)表現する人がいるじゃないですか。でも、実際女の子がどう走っているか見てみると、そんな走り方の人はいないんです」
春名「今はルッキズムと言って、美しい人を優先することが問題視されて、ビューティーコンテストをやめようという動きがありますが、僕は個人的にはビューティーコンテストはあってもいいと思っています。容姿の美しさは、その人の持っている魅力の一つではあると思うんです。例えば、アラン・ドロンを見てかっこいいと思う気持ちは嘘ではないし、それを否定することは無意味です。ビューティーコンテストを問題視する理由は、『じゃあ美しくない人は駄目なのか』ということでしょうが、別にそんなことを言ってるわけではなくて、顔が美しい人に対して『あなたは顔が美しい』と言っているだけです。それをいけないというのであれば、たとえば走るのが速い人や、フィギュアスケートで4回転を跳べる人を褒めることもできなくなります。人に対して何かしらのポイントで褒めることは、そうでない人をけなしているわけではありません。
それから、『けっきょく、綺麗な人は得だよね』とよく言われますが、全然そんな風にも思いません。綺麗な人が必ず幸せになるかというと、まったくそんなことはないと思うんです。若いうちはチヤホヤされて仕事も私生活もうまくいきますが、だからこそ自分を磨くこともなく年だけとっていきます。寄ってくるのは容姿目当ての男性ばかりで、でも綺麗な人は他にいくらでもいるわけだから、けっきょく大切にもされず遊ばれて終わりです。そして年を取ったら中身のない哀れな人間だけが残る。僕は男性でも女性でも、綺麗な容姿の人には最終的に不幸になるルートしか見えません。そういう人は、逆に何か業(ごう)を抱えて生まれたとさえ思っています。どこかの時点で、自分はこれじゃダメだ、自分の中身を磨かなきゃいけないと悟ってその道を選ばない限り、幸せになる方法はないと思います」
あでりー「スポーツ選手でも同じですね。デビューした時に華々しくもてはやされても、年ごとにどんどん若い世代が出てくるから、数年したらそちらに話題が移ってしまいます」
Tさん「演技の世界で子役が潰れてしまうのもそうですね」
春名「たしかに! そうやって引退した人の末路は惨めだったりしますね」
あでりー「犯罪に走る人もいますしね。歴史上で見ると、ハプスブルク家皇后のエリザベートというすごく綺麗な人がいて、皇太子は最初、彼女の姉と結婚する予定だったのに、エリザベートを見てあまりにも綺麗だから彼女と結婚したんです。当然、みんなにもてはやされて過ごすんですが、年を重ねるごとに恐怖を感じて、部屋に運動器具を並べてストイックに運動したり、美を保つために何かの生き血を飲んだり、あらゆることを試すんです」
春名「そういう人は、美しさしかアイデンティがないわけですから、本当に哀れだと思います。だから、顔さえ良ければと思う人はたくさんいますが、そんなことはないですよと言いたいです」
春名「差別の話に戻すと、出身地の差別もありますね。僕の姉が結婚する時なんかは、何代前までどういう人間だったかという家系図をお互いに交わすという慣習がありました」
Tさん「警察関係に就職する時には、遠い親戚まで身辺調査をされるそうです」
春名「僕は昔テレビ局に勤めていて、再放送の番組の内容を確認する仕事をしていたことがありました。放送禁止用語もチェックするんですが、よく思われるような性的な言葉などはごく一部で、いちばん大きかったのは差別用語、部落差別や身体障害者差別に関する言葉です。
たとえば、『四つに組む』という言葉がありますが、『四つ』に部落差別の意味合いがあるので、カットされます。むかし、被差別民のことを『四つ』と呼んでいて、それは『四つ足』、すなわち『動物』『畜生』という意味になるからだそうです。
昔の刑事ドラマとか時代劇には、そうした差別用語がたくさん出てきます。番組は当時、16mmのフィルムで放送していたんですが、フィルムの音声を消すには、音声部分を油性マジックで塗るんです。するともう元に戻せないから、他のテレビ局で音消しされたままでフィルムが回されてくるので、もう音消しだらけでした。
刑事ドラマでいちばん多かったのは、『トルコ風呂』で、やたらと出てきます。これもトルコ政府からクレームがついて、今は名称が変わりました。他にも、『片手落ち』という言葉も、片手がない人が見ているかもしれない、ということで放送禁止になります。むかし『バカチョンカメラ』という言葉があり、『バカでもチョンでも使える簡単なカメラ』ということですが、この『チョン』が朝鮮人を侮蔑する言葉だから駄目です。他にもたとえば、『民』という文字は、目を下から針で指す象形文字で、そうやって盲目にして奴隷にするという差別的な意味合いがあるそうです。だからこの文字は使ってはいけないという人がいますが、でもそんなこと言われても、と思いますよね。そういうのも言い始めたらギリがありません」
あでりー「そういう言葉も、聞かないでいると風化してしまって、差別用語かどうかもわからなくなりますね」
春名「朝鮮人差別には朝鮮総連という団体いて、部落差別については部落解放同盟がいて、そういう大きな団体が強烈が抗議をするから放送局は敏感で、いろいろ勉強をさせられました。でも、その時の講師の言葉で一番よく覚えているのが、『いろいろと言っちゃいけない言葉があるけれども、誰一人傷つけないような放送というのはないんですよ』というものでした。
たとえば、かわいい赤ちゃんの映像がテレビで映るとします。でも世の中には、子供がどうしても欲しいのにできないご夫婦とか、小さな子供を亡くした人もいて、そういう人がその映像を見たら絶対に傷つきますよね。だからと言って、『子供ができない人や子供を亡くした人が見ているかもしれないから、赤ちゃんのかわいい映像を放送するのはやめましょう』となったら、キリがなくなります。
それで最近僕は、差別はたくさんありますが、これからの世の中は『許せる限り許す』ということでしか、もう立ち行かなくなる気がしています」
Tさん「かなり壊れてしまっていますもんね」
あでりー「苦しいぐらいぎゅうぎゅうに締め付けられています」
春名「しかも、誰も幸せになってないですよね。許せる限り許すとなると、いろんな被害者の人や苦しんでいる人が反対するでしょうが、これからの世の中はそれしかないような気がしてるんです。
たとえばパワハラについても、上司が部下に対して本当にきつい言い方をするのは酷いと思いますし、それで傷ついたり自殺している人がいっぱいいて問題だとは思います。でもたとえば、明らかに駄目な社員がいて、その人に対して『おい駄目じゃないか』と言ったらもうそれがパワハラになってしまいます」
Tさん「もうちょっと頑張ってくれ、としか言いようがないです」
春名「そうですね。でも、『もうちょっと頑張ってくれ』くらいでも、パワハラだと言われそうです」
あでりー「小学校なんかでもそうですね。今は小学生の方が知識があるから、先生から何か言われたら即、パワハラということになってしまいます」
春名「先生は大変ですね。いまは、教師が小さな小学生に対して全員、『さん』付けで呼ばないといけないですけど、あれにも僕は違和感を覚えてしまいます」
春名「こうして話をしているような人たちは良識がありますが、本当に無邪気なくらいに差別をしている人もいますよね。さきほどのテレビ局の話をすると、視聴者センターという部署があって、視聴者からのいろんな意見やクレームに対応するんです。僕はその隣の部署にいたんですが、電話の声が聞こえてくるんですね。ある時、視聴者センターの部長のところに、朝鮮人の方から電話があってその応対をされていたんですが、電話を切るなりその部長が、『チョンコーの言うことなんか聞けるかよ!』と大声で叫んだんです」
Tさん「よっぽどストレスがたまっていたのかもしれませんね」
春名「たしかにそうですね。ひどい差別をする人も、完全に悪人ということもないんでしょうが、いろんなわだかまりが重なったのかもしれませんね」
Tさん「市役所に来る人で、一日居座って苦情を言い続けるという人もいました」
あでりー「そうやってお客様という立場を利用して、絶対相手が断れないだろうというところに行く人がいますね」
春名「カスタマーハラスメントですね」
あでりー「私の母親がNTTの104番の対応をしていた時に、酔っ払いが電話を掛けてきて、今から行くからなと言って本当に来て、散々当たり散らして帰ったという話を聞いたことがあります」
春名「どこかに何かをぶつけたい人はたくさんいて、その対象を見つけるや、そこに突進するという感じじゃないでしょうか。それが差別の一つのような気がします。
差別についてひとつ思うのは、黒人差別にしても他の差別にしても、差別されている側の中で差別構造があるんですよね。僕はアフリカに二回行ったことがありますが、黒人の中にも本当に真っ黒な人と、ちょっと浅黒い人ぐらいがいて、浅黒い人は真っ黒な人を『リアルブラック』と言って差別するんですよ。差別される苦しみをわかっていながら、より下のものを差別するという構造が必ずあるんですね」
Tさん「人間はどうしようもないですね……」
春名「インドに行った時も、向こうで知り合ったインド人が、普通にすごくいい人で仲良く喋ってたんですが、自分より下の人を当たり前のように見下すような言動をしたことがあって、『ああ、こういういい感じの人でも差別はするんだな』と思ったことがあります」
Tさん「生まれた時から差別のある環境でずっと暮らしているから、当たり前なんでしょうね。でも日本は面白いですよね、士農工商と言っても実際は商人が一番強かったですもんね」
春名「それで、士農工商の下に穢多(えた)・非人(ひにん)というのを作って、下を見て暮らせ、と言われたんですね」
Tさん「宿場町には必ずそうした穢多や非人がいたんですね。宿場には馬を走らせてくるから、そこで弱った馬を捨てて、次の新しい馬に乗り換えていくんです。それで馬の死体を片付ける仕事を、そうした人達が担当していたと聞きました」
春名「知り合いから聞いたんですが、田舎の方のお墓に行くと、そういう人の戒名に『玄田』という字が入ってたりするらしいです。二文字を合わせると『畜』という字になって、つまりは人間じゃない、ということになります」
Tさん「わざわざ戒名に入れるんですか? ひどいですね。人間は、差別をしたい動物なんですかね」
春名「そうですね。何かを差別しなければ生きていけないのかもしれませんね。そこにはいろんな事情があったりするので、外から見えるのとまた違うと思います。たとえばアメリカの黒人差別で、白人警官が黒人を撃ち殺した事件がありました。酷い話だと思います。ただ、白人と黒人はもう、どちらが悪いということもなくて、一方が攻撃したらもう一方が反撃して、そしたらまた相手に反撃するという繰り返しだから、どちらがどちらに対しても危険な存在でしかない。だから黒人にとって白人警官から何をされるか分からないのと同様、白人警官にしても黒人からの報復があるから何をされるかわからないのは同じです。そこで、黒人が集団で何か怪しいことをしていて、そこに白人警官が行って、相手の黒人がポケットに手を入れているとします。もしその黒人が銃を持っていて、指を少し動かして銃爪を引いたら自分の命が終わってしまう、そう考えたらもうまともな精神でいられず、やられる前にこちらから撃つしかないと思ってもしかたないところはあると思います。だから僕はいつも、『白人警官の側にも言い分はあるはずだ』と思っていて、それを聞かない限り似たような事件は終わらない気がします。ほんとに、世界のいろんないざこざがなくなってほしいと切実に思いながらなかなかなくならないですね」
あでりー「無意識でしている差別は絶対あるから、なかなか難しいところです」
春名「僕も外国人差別をしていないつもりだし、していない人間でありたいとは思いますが、例えばオリンピックで日本とどこかが戦っていて、日本頑張れって思うのは、これはなんだろうといつも思うんですよね。外国人だってみんな同じように頑張っているはずなのに」
Tさん「飛行機が墜落した時なんかも、日本人の乗客がいたかいなかったかと必ず言いますが、あれはどうしてだろうと昔から思っていました」
あでりー「私もそれはすごく疑問で、どこかで銃撃戦があった時でも、日本人がいたかいなかったという報道になりますね」
春名「まあそれはやはり、例えば僕の家族が乗っているかもしれない飛行機だったとしたら、犠牲者に日本人がいたかいなかったかというのは意味のある情報ではあると思います。考えるほど、差別の問題は難しいですね。愛国心はあって全然OKだと思うんですけど、じゃあ日本人ファーストと愛国心はどう違うんだろうと考えますね」
Tさん「桜の時期に伊賀川の向こうまで歩いたら、アジア系の女の子が二人、ベンチに座っていたんです。私達がその隣に、いいですか、と言って座ったら、その二人がすごく喜んでくれて、一緒に写真撮っていいですかと言ってくれました。ベトナムから来た方らしいです。それで一緒にお菓子を食べたりして、私は全然そういうのが気にならないです。でも、そういう外国人が来ると日本人が困ると言ったり、あからさまに早く国へ帰れと言う人がいますが、違うけどなぁと思います」
あでりー「もし本当に外国人の方が全員、自分の国に戻られたら、日本は回りませんからね」
Tさん「解体現場だと外国人が多いですね。会社が外国人を雇うと補助金がたくさん出るらしいんですね。それで外国人には安い給料で働かせて、会社には補助金が出るから結構いい思いをする。だから雇う、という話もあります」
あでりー「高齢者用施設の夜勤が外国人さんということもあります」
Tさん「夫が急に入院した時も、夜勤の看護師さんは外国の人でした」
あでりー「国際ナースの資格を持ってるんでしょうね。それはエリート中のエリートです。日本で活動しようと思うと、日本語も達者じゃないと駄目なんですよ。そういう人たちもいなくなっちゃうと、本当に立ち行かなくなります」
春名「自分と少しでも違う人はもう理解できない、排除したいということなんでしょうか。日本国内でも、岡崎の人だけ集まっている中に名古屋の人が入ってきたら、『あの人は名古屋の人だから』とかすぐに言われてしまいます」
Tさん「昔は、出身地の差別が歴然とあって、あからさまに口に出して言っていましたね。足を引きずっている子供に、先生がわざとその真似をして嫌がらせをしたり」
あでりー「その人たちは差別だと思っていなくて、それが当然なんですよね。ただ、そういう行為が差別だという認識が深まったのはいいことだと思います」
Tさん「同じ人間ですもんね。でも例えば、真っ黒な人が5人ぐらい一緒に入ってきたら、ちょっとドキッとしません?」
春名「それはありますね。僕はアフリカに行った時に、空港で知り合いのスタッフと待合せて旅行会社に行く予定だったんです。そこに会社のネームプレートを持った別のスタッフ二人が来て、『彼は病気になったから我々が来ました』と言われて、一緒に車に乗ったんです。でも考えると、その会社名のネームプレートなんて誰でも作れるし、それらしい日本人に声をかけて騙して車に乗せて連れ去ることは簡単にできるんです。そう思ってしまうと、その二人の黒い顔がすごく怖くなってきたんです。結果として何もなかったんですけど、そういう気持ちは僕の中にあるんだと気づきました」
あでりー「何かを恐れる時に、差別の気持ちが出てくると思うんです。私も自分でショックを受けたのが、コロナの時でした。最初中国から始まった病気だったから、その時の職場の同僚が『中国人に会いたくない、その人がウイルスを持っているかもしれない』という発言をした際、私も普通に同意してしまったんですよ。でもそれは、中国人=コロナを持っている人、という風に勝手に自分が思って差別しているだけだと気づいて、愕然としました。外国で日本人の演奏家が、日本人だというだけでコロナを持っているかもしれないと思われ、襲われて指を折られたりした事件がありましたが、私もそれと変わらないじゃないかと思いました」
春名「病気については、僕もありますね。エイズは血液感染だから、呼吸とか汗とかでは移らないんだけれど、たとえばエイズ患者の人とバスケットボールの試合をしたとして、もしかしたらその患者が怪我をして血が滲んでいて、試合中にその人の体に触れて感染するようなことは確率ゼロではないと想像すると、僕は躊躇すると思うし、それは差別なのかなと思います」
あでりー「そうやって具体的な相手が定まっていたらまだいいですが、中国で発生した病気だから中国人は全部ダメ、と考えるのが差別だと思うんです。でも、そう思ってしまう自分がいるんだと気付いた経験でしたね」
Tさん「私は子供の時、電車でゆずってもらった席が、外国人の隣だったんです。乗っている間ずっと、その人が拳銃を出すんじゃないかと思って怖かったです。西部劇の見過ぎなんですが(笑)。
万博の時に初めてインド人を見た時もびっくりしましたね。顔が大きくて色も黒いし、ターパンを巻いていたりして。カレーを食べようと思って行ったんですが、あまりに怖くて避けました。もう外国人にも馴れてきた頃のはずなんですが、やはり間近に見ると違いましたね」
Tさん「いまは、外国人を避けていたら道も歩けないですもんね」
あでりー「岡崎でも普通に見かけるようになりました。コンビニの店員さんでもいらっしゃいますね。それで、 日本語が流暢なんですよ」
Tさん「母国語も英語も日本語も喋れるし、感心しちゃいますね」
春名「それでも、同じ職場に外国人がいて、何かちょっと習慣が違ったりすると、すぐにそこで差別をします。人間は誰かを標的にして、その人の悪口を言い合うことで絆が深まるということがあると思うんです。共通敵を作ってそれに対して団結する、敵の敵は味方、の論理ですね。飲み会が悪口大会になるのは、悪口を言うと連帯感が生まれるような気がするんですよね。それが差別の要因の一つかなと思います。
外国人に何か問題なところがあったとして、その特性がその人種全体を表しているわけではないのに、一人から全体を判断するということもあります。人間は因果関係を簡単につけようとする癖があって、たとえば『インド人だからうまくいかない』という風に理由をつけたがる。それが全部、偏見と差別につながっていくと思います」
Tさん「そうやって一つにくくってしまうと、楽ですからね」
春名「この国の人はこういう性格だ、みたいなことがよく言われますが、僕はいろんな国に行って思うのは、いろんな人がいるなぁということだけです。僕は岡崎に住んでもう15年くらいになりますが、『岡崎の人ってどういう人ですか』と聞かれても、わからないです。いろんな人がいるから。みんなよく、岡崎の人はこうだ、名古屋の人はこうだと言いますが、全然当たってないと思います。いろんな人がいるだけですよ。誰か特徴的な一人とか二人のことを指して、全体を指しているだけだと思います。だからよく中国人を悪く言う人は多いですが、僕が中国に行った時、出会った人はいい人ばかりで、嫌な思いは全くしませんでした。逆に、イギリスの人は紳士だと言うけど、紳士じゃない人もいっぱいいました」
あでりー「紳士のはずのタクシードライバーは最悪でした」
春名「それはどこの国にだって悪い人はいるでしょうが、日本人だって悪い人はいっぱいいるわけです」
あでりー「なかなか差別はなくなりませんが、それを知った上で気をつけるのが大切かなと思います」
Tさん「自分が差別の心を持っていると、相手もそう思うんじゃないでしょうか」
春名「最近は宅配のドライバーさんに外国の人が多くて、届けてくれた時にはなるべく笑顔で接して、ありがとうと言うようにしています」
あでりー「みんな、自分が思っているイメージがあって、それに当てはまらないと『なんで?』という感じになって差別につながることもあります。その意味では、自分でもいろんなところで差別をしている気がします。たとえば高齢者差別が生まれる背景として、いろんな世代の方と話す機会が減っていることが挙げられます。私の世代でも、お年寄りと一緒に暮らした経験がある人が少なくて、今だとさらに少なくなっています。一緒に暮らしていると、自然に分かることがいっぱいあるんですね。私も祖母と暮らして、いいところもあれば裏の顔もあったり、いろんな姿を見てきました。だから、高齢者の人で、表面的にはいい人なんだけど裏ではこういう面がある、という現場を見たとしても、『まあそういうこともあるででしょう』としか思いませんが、そういうことを全く知らない人からすれば、『高齢者はこんなに酷いのか』と思うかもしれません。やはり、接する機会が失われているのも差別につながっているのかなと思います」
Tさん「核家族化がいろんなことを壊しているんでしょうか。私は、父方の家は大きな家で、いろんな人が同居してたんですよ。おじいさんが病気で寝ていたり、いろんな親戚の人が同居してたりましたが、それが普通だと思ってました。けっこう面白かったですよ」
春名「僕が子供の頃はクラスに外国人はいませんでしが、今ならクラスに数人くらいはいて、普通に交流してるでしょうから、そういう子供達が大人になったら、違和感なく外国人を受け入れられるようになるかもしれません」
あでりー「高校の時に一人、肢体不自由な子と3年間同じクラスだったんです。いちおう自力で歩くことができたんですが、やっぱり歩くのは遅いし、階段を歩くのも大変だし、ということで、教室移動のときその子と一緒に行ったりしていました。コミュニケーションがうまい子だったので、クラス全員と仲良しで、卒業旅行も5~6人で金沢に一緒に行きました。兼六園に入る時にその子が言った一言が面白くて、障害者手帳を持っていると無料で入れるんですが、その子が『ラッキー!』と言って入っていったんです。『ラッキー』という発想もあるのかと驚きました。いろんないざこざもありましたが、今思うといいことをたくさん教えてもらえたなと思います。彼女はその後、東京の障害者関係の施設で施設長になったそうです」
Tさん「素晴らしいですね」
