今回も特にテーマは定めず、いま他の人に特におすすめしたい本を紹介しあいました。初参加の方を含め3名の方にお越しいただき、スタッフと合わせた5名で賑やかに開催しました。動物関連のドキュメンタリーや小説のほか、近現代の歴史に関する書籍などが紹介されました。
【紹介された作品一覧】
・徳川家康/山岡荘八
・ガラス絵の楽しみ/佐藤泰生(編)
・子どもには聞かせられない動物の秘密/ルーシー・クック(著),小林玲子(訳)
・その犬の歩むところ/ボストン・テラン
・三河物語(上・下)/大久保彦左衛門(原著),小林賢章(訳)
・ペンギン羽根を楽しむ本/ペンギン羽毛愛好会
・絶滅できない動物たち/ M・R・オコナー (著),大下 英津子(訳)
・人生は廻る輪のように/ エリザベス・キューブラー・ロス(著),上野圭一(訳)
・アルバート街の子供たち/ アナトーリー・H・ルィバコフ(著),長島七穂(訳)
・水族館つくろう物語
・優しい地獄/ イリナ・グリゴレ
【詳細な内容】
◆ 徳川家康/山岡荘八
イベント常連参加のTさん「あまり本を読めていないんですが、最近読んでいるのが本作で、いま4回目のチャレンジをしています。1巻は時間をかけて読んだのですが、2巻目は2日で読んでしまい、もう少しゆっくり読まないとと思っています。最初に読んだのが中学の頃で、当時は20巻まで出ていました。その後、次々と新刊が出て、高校を卒業する頃には26巻まで揃っていました。それで全巻を読み、社会人になってからふたたび全巻を読んで、この年になってまた読み始めています。大河ドラマなので、面白いですね」
春名「本は二回目のほうが圧倒的に面白く読めますね。一回目はひたすら筋を追う読書になりますが、二回目は全体の筋が頭に入っていますから、細部まで味わえるんです。だから二回目のほうが断然面白くて、理解の深さが違います。ところでこの本は、史実の中にフィクション的なものも入っているんですか?」
Tさん「そうですね。フィクションを入れないと多分面白くならないですね」
春名「歴史でしっかり残ってる部分はきちんと押さえてあって、語られていない部分を作家が想像して埋めていく感じですね」
◆ ガラス絵の楽しみ/佐藤泰生(編)
Tさん「ガラス絵という、ガラスに直接絵を描く技法があるんです。私は絵を見るのが好きで、本書の内容はちゃんと読んでないから、読んだとは言えないんですが…。この本を見て書こうと思ったんじゃなくて、書いたあとで参考にした感じです。
ガラスに直接、裏側から絵を描くので、全部反対になるんですよ。前面の椅子とか細かい部分を先に描いて、最後に背景を描くんです。左右も反対になるし、思い通りにならないことがよくあります。最初にこういうふうに描こうと思うと大変ですけど、偶然にできてしまうこともあって、それが逆に面白いんです。
ガラス絵は古い時代からあって、キリスト教のイコンをガラスに写すことで広まり、それが西洋のガラス絵の始まりなんだそうです。だから各家庭に一つずつ、マリア像などのイコンがあったようです。日本では、浜松の美術館にたくさん置いてあるようです」
◆ 子どもには聞かせられない動物の秘密/ルーシー・クック(著),小林玲子(訳)
イベント初参加のSさん「私はペンギンが好きで、ペンギン好きな仲間の人からこのお店を紹介され、今回、読書会があるということで参加しました。本書は『子どもには聞かせられない動物の秘密』という、なかなかインパクトのあるタイトルですけど、掲載されている内容も、『乱倫なパンダ』『買収するペンギン』『トイレで婚活するナマケモノ』など、確かに子どもには見せられないものばかりです。中身はとても面白くて、最初の章はウナギなんです。昔の哲学者アリストテレスが『ウナギは泥の中から生まれた』と言っていて、今から聞くとそんなバカなことあるかって思うんですけど、なぜ当時そう思われていたのかという理由が書かれているんです。ウナギは生殖器が隠れているので、昔の人達は『ウナギは魚じゃなく、泥の中から自然発生した生き物だ』と考えていた、というわけです」
春名「学術的な感じもありますね」
Sさん「最初はタイトルに惹かれて読んだんですけど、ちゃんと読んでみると、一見ありえないようなことがなぜそう言われるようになったのか、そして動物にはまだまだわからないことがいっぱいあるんだということに気付かされます」
春名「ペンギンにはどういう秘密があったんですか?」
Sさん「アデリーペンギンは、繁殖のときに自分たちで小石を積んで巣を作るんです。その小石がどれだけ大きいか、どれだけ積めるかというのが、ペンギンの社会的地位を表すんですね。それで、石が欲しいメスのペンギンが他のオスを誘惑して、そのオスの巣から石を盗って、自分のペアのところに持っていくんです。なかなかペンギンもドロドロした世界ですね(笑)」
◆ その犬の歩むところ/ボストン・テラン
春名「動物つながりで紹介します。ボステン・テランはミステリー系の作家さんですが、これは推理小説ではなくて、アメリカにいる一匹の犬が、いろんな飼い主のところを放浪していく中でアメリカの歴史が語られていく、というお話です。例えばカトリーナという大型ハリケーンが大きな被害をもたらした時にも、その犬は被災地にいて、人間とどう関わっていったか、というエピソードが描かれます。カリフォルニアの山火事では、犬と一緒にいた青年が山火事に巻き込まれ、犬が彼を助けに行くという冒険譚もあります。アメリカの歴史の、嫌な面といい面の両方が描かれています。比較的短めでサクッと読めるんですけど、内容はしっかりしていて、けっこう好きな一冊です」
◆ 三河物語(上・下)/大久保彦左衛門(原著),小林賢章(訳)
Nさん「江戸時代に大久保彦左衛門が書いた作品の、現代語訳版です。徳川を名乗る前の松平一族が、どのように三河から生まれたかという経緯が描かれています。一般的には、源氏の血を引く僧侶が三河にやってきて、そこで養子に入って子どもが生まれ、それが松平家の始まりだということになっています。たぶん、そういう話は後から作られたストーリーだと思うんです。広いエリアを統治する時代にあっては、自分達の血筋を正当化し、支配者としてふさわしい一族なんだという物語を作らないといけなかったわけですね。そういうテーマが『三河物語』全体の主軸にあって、家康がどうやって出てきてどう統治したか、そして大久保一族がいかに忠義を尽くしたかが描かれています。
岡崎公園にある「三河武士のやかた家康館」が2008年にリニューアルされましたが、あの展示の文章は僕がぜんぶ書いたんです。その際に、読む人が楽に読めるような形にしたいと思って、この本を参考にしました」
◆ ペンギン羽根を楽しむ本/ペンギン羽毛愛好会
あでりー「今回ご参加いただいたSさんとは、ちょうど2年前に名古屋で開かれたペンギンの勉強会で知り合いました。今回も、千葉に住んでいるペンギン友達の紹介で、来てくださいました。今日紹介する本も、その千葉のお友達が送ってくれた本なんです。この本、ご存知ですか?」
Sさん「これは……自分が作った本です」
あでりー「やっぱり! こんなマニアックな本を作れる人は他にはいないと思っていたんですよ」
Sさん「これは同人誌ですね。自分で印刷して出した本です。コミックマーケットのために作りました」
春名「羽根は全種類あるんですか?」
Sさん「日本にいる12種類のペンギンの羽根は、全部載っています」
あでりー「今はキーホルダーになったりガチャで手に入ったりして、結構集めやすくなりましたよね」
Tさん「好きな人はもう、骨の髄まで好きなんですね」
あでりー「このクローズアップの写真は、どうやって撮ったんですか?」
Sさん「顕微鏡を買って撮りました。目で覗くところにカメラを接続する変換器があって、それをパソコンに繋いで写真を撮るんです」
あでりー「全国津々浦々の水族館のものが載っているから面白いです」
◆ 絶滅できない動物たち/ M・R・オコナー (著),大下 英津子(訳)
Sさん「絶滅危惧種とか絶滅した動物じゃなくて、“絶滅できない動物”というのがテーマの本です。たとえば、この本に出てくるキタシロサイですけど、今はもうこの一頭しかいないんです。つまり、絶滅はしていないけど、いずれ絶滅するだろうという存在です。そうすると、今はクローンがあるから絶滅してもいいんじゃないかという意見も出るんですけど、いやいや、自然はそんなに甘くないぞという話です。
他にも、キハンシヒキガエルというカエルも今は野生下にはいなくて、研究所とか特定の施設にしかいません。このカエルは、外国の滝の、湿気のすごい場所にしかいなかったんですけど、そこに水力発電所を設置したことで、生きられなくなってしまったんです。そういう、いろんな理由でまだ生きてはいるけど、いずれはいなくなる動物たちが、この本には載っています。『クローンがあるからいい』『自然保護区があるからいい』という考え方だけではなくて、やっぱり『今、生きている動物たちをどう守っていくか』が大切なんです。ちょっと固い内容ですけど、とても面白く読めました」
春名「地球ができてから無数の生き物が誕生して、その99%ぐらいは絶滅しているらしいんです。生まれては絶滅して、進化して、という繰り返しで。そこで何かの種を守ろうという動きは起きるんですが、僕はいつも『それってどうなんだろう』と考えてしまうんです。だって、守ろうとする動物は必ず、見た目がかわいいとか、きれいな動物ばかりなんですよね。例えばゴキブリや蚊やハエが絶滅しかけていても、それを守ろうとする人はいません。彼らだって普通に生きている動物なんですが、見た目がきれいじゃなかったり、人間にとって害とされるものは守ろうとしない。それって結局は人間の好みに過ぎないと思うんです。他にも、例えば恐竜が絶滅したから人間が誕生できたかもしれない。そのうえで過去に戻って、恐竜は大事だから絶滅させちゃいけない、守ろうと考えていたら、人間は生まれてなかったかもしれません。僕は動物が好きですし、絶滅してほしくない動物もたくさんいますが、それを守るための運動には懐疑的なんです。もちろん、人間が環境を壊してしまったから、その償いをしなければという気持ちはわかります。でも、例えば自分の家を建てるにしても、何十坪かの土地の生態系は破壊され尽くされてしまいますが、そこに住んでいたアリや微生物を助けようという運動にはならない。結局、それぞれの動物が、それぞれなりに生きていくしかないんだなと思うんです」
Sさん「この本では、例えばサイの話があって、このサイ1頭を守るだけじゃなく、なぜこのサイが絶滅しそうになったのかという背景も描かれます。やっぱりそれは人間の経済活動が関係していて、アフリカでは今もテロや内戦があって、そうした紛争の資金源として角を入手するために、サイが捕獲されてしまうんです。一時は回復したんだけどまた紛争があって、最終的には1頭しかいなくなってしまいました。その動物1頭だけを守るんじゃなくて、それを含めた文化や自然環境そのものを守らないと、結局すべて失われてしまう、というメッセージがこの本には込められているんです」
あでりー「Sさんは、こういう本をどうやって見つけるんですか?」
Sさん「本屋に行って、動物のコーナーに行って探すんですけど、最近は本屋が減ってしまいましたね」
◆ 人生は廻る輪のように/ エリザベス・キューブラー・ロス(著),上野圭一(訳)
春名「この著者は、『死ぬ瞬間』という本で有名な人です。医療の現場で、人が死をどう受け入れるかというモデルを提唱した人です」
あでりー「看護師になる人はたぶん教科書で習うと思います」
春名「死の受容は5段階で訪れるというものです。最初は『否認』で、そんなはずはないと思い、次が『怒り』で、なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲にぶつける。次が『取引』で、死なないために神と取引をしようと試みる。その後、『抑うつ』状態を経て、『受容』が訪れます。この『死ぬ瞬間』という本も素晴らしいんですが、本書では、著者自身の半生が描かれています。どうやって『死の受容』の5段階を提唱するに至ったのか。その背景にある彼女自身の人生、育ってきた環境、経験が描かれています。
彼女は頑固な父親に育てられて、自分の思い通りにならない人生をずっと歩んできました。でもある日、やっぱり私は医学の道に進みたいと思って、医師になる道を選びます。その後、臨死の現場に長く立ち会う中で、患者達が似たような反応をすることに気づき、それを体系化して書いたのが『死ぬ瞬間』という本なんです。
ただ、彼女はその後、人は死んだ後どうなるのかということに関心を持ち始めます。それもやはり医療の現場で、臨死体験をした患者達からいろんな話を聞いたことがきっかけです。一度死んで蘇生した人たちが、『まぶしい光に包まれていった』『先に死んだ家族と会った』『すごく穏やかで心地よい場所だった』等々、皆が同じような話をする。最終的に著者本人も臨死体験をしたり、幽霊に会ったりといった体験を重ねていき、どんどんスピリチュアルな方向へと傾いていくんです。そうなると当然、信じない人も出てきて、迫害を受けるわけです。自宅に火をつけられて、実験結果などの資料がすべて燃やされてしまったこともありましたが、それでも彼女は自分の決意を貫きました。本当に壮絶な人生を歩んできた人なんです」
あでりー「1920年代生まれだと、当時はまだ女性が医者になること自体が難しかった時代ですし、アメリカでも女性というだけで偏見や差別があったと思います」
春名「この著者の他の本も読みましたが、人間に対するシニカルな見方、ちょっと意地悪な感じさえする部分もあるんです。なんでこんなに皮肉っぽいんだろうと不思議に思っていたんですが、こうした迫害を受けたり信じてもらえなかったり、人間関係で苦労した結果なんだなと納得しました。だから人間不信とまではいかなくても、人間嫌いな一面があって、すごく人間っぽいんですよね。聖人のような人ではなく、葛藤したり怒りも感じながら、それでも人間と向き合ってきた人です。ヘレン・ケラーのような人とは違って、もっと泥臭くて、リアルで、『なんで私がこんなことをやらなきゃいけないの?』と思いながらも、死にゆく人たちから教えられることがたくさんあって、それを真摯に受け取ってきた人なんだなっていうのが、すごく伝わってきました。
死にゆく人から教えられることは僕も実感しています。3年くらい前に父を亡くして、その前後で、人が死ぬってどういうことなんだろうとすごく考えさせられたんです。父の死を通じて、人が死んでいくことの重みを実感しました。そういうこともあって、本書は本当に心に残る内容で、読後には深く胸に響くものがありました」
あでりー「看護の世界でも常識として取り入れられていたり、この人の考え方はかなり影響があると思います。サイモントン療法など、いろんな精神的なメソッドにも引用されています」
春名「著者は人生の中で何度もひどい目に遭うんですが、のちのち考えるとその体験が自分の転機にもなったし、素晴らしい体験だったと言うんです。辛い経験があったときに、今はこれで自分が成長しているんだと思えるようになるんだと。それは僕もすごく自分の人生で感じることで、すごく辛いことがあった時期というのは、後から振り返ると必ず何かの転機になっていたり、もっと素晴らしいものを手に入れるきっかけになっていたりします。そこがすごく面白いと思います」
◆ アルバート街の子供たち/ アナトーリー・H・ルィバコフ(著),長島七穂(訳)
Nさん「モスクワにはアルバート街という場所があって、日本でいえば銀座のようなメインストリートです。戦前の小説ですが、アルバート街で遊び楽しむ子供たちが、迫害や拘束を受けながらも明るく生きていく姿が描かれています。この本は20年間発禁処分になっていて、出版された時には話題になったそうです。私は1990年、崩壊直前のソ連に行きました。当時は、まさか翌年にソ連が崩壊するとは誰も思っていませんでした。初めての海外旅行がたまたまそのタイミングだったんです。現地は、当時のゴルバチョフ大統領に対する不満の声であふれていました。棚には物がなくて、あっても高くて買えないし、貧しい人たちばかり。それまでみんな貧乏でもなんとか食べていけたのが、経済の国際化や自由主義の導入で、逆に格差が急拡大してしまった。成功した一部の人たちが富を得て、それ以外の人々がどんどん貧しくなっていったんです。ゴルバチョフは自由の象徴でもてはやされているように思っていたら、現地では悪玉だと思われている。海外から見聞きするソ連と、現地の状況とはまるで違うことを実感しました。
アルバート街も訪ねました。ソ連時代は若者たちが声を上げていたけれど、ソ連崩壊後に再訪した時には、乞食ばかりでした。年老いた女性たちが自宅の品を売っているような光景に変わっていて、衝撃的でした。タクシーも、運転手の表情が怖くて乗れないんです。乗ったらどこへ連れていかれるかわからないような恐怖がありました」
◆ 水族館つくろう物語
あでりー「2022年に名古屋港水族館が30周年を迎えたときに出た本です。水族館を作ろうとした時の経緯を描いた、3冊シリーズの漫画です。私は愛知県民だけど持っていなくて、千葉にいる友達が送ってくれたんです(笑)」
Tさん「日本には、どれくらいペンギンがいるんですか?」
あでりー「結構たくさんいますよ。種類も多いですし、大型の種類もいます。日本ではエンペラーペンギンを飼ってるというだけですごいんです。
この本を読んで、名古屋港水族館のジェンツーペンギンがイギリスから来たことを初めて知りました。水族館を作るまでにどんなことがあったかというのを、事実にフィクションも加えながら描いてあるんです。漫画になっているので、サクサク読めます」
◆ 優しい地獄/ イリナ・グリゴレ
春名「さっきのロシアの話に絡めて本書を紹介します。著者はルーマニアの人です。ルーマニアも、かつてはソ連と同じように社会主義の体制だったんですね。著者は40歳くらいの女性で、社会主義時代にルーマニアに住んでいて、その後日本に来て、今も日本で暮らしています。日本語を勉強して、この本も日本語で書いてるんですよ。
ソ連とは状況が違うかもしれませんが、彼女が子どもの頃に社会主義体制下で暮らしていた時は、団地で最低限の生活しかさせてもらえなかったそうです。社会主義とはみんなが平和に幸せに平等に暮らせると言われますが、この人にとっては全然そうじゃなかった。その状況を『優しい地獄』と表現しているんです。自分たちは社会実験に巻き込まれていたという感覚なんですね。自由も何もなくて、与えられたものに我慢するしかなかったという。そしてこの人は、チェルノブイリ事故の影響も受けています。彼女にとっては、社会主義と原発事故という二つの大きな出来事が、自分の人生における重大な体験だったんですね。
いくつか、印象的な文章があるので引用します。〈社会主義とは、宗教とアートと尊厳を社会から抜き取ったとき、人間の体がどうやって生きていくのかという実験だった〉というんです。すごい定義ですよね。それから、当時の工場の様子を子どもの目線から見ると、〈人間と機械が混ざった豚の内臓のような、無茶苦茶な空間に見えた〉と表現しています。さらに彼女は〈正直に言うと、戦争、原発事故、社会主義こそが病気だった。今も世界はその病に悩んでいる〉ともいいます。こうやって、戦争と原発事故と社会主義を並べて語れるのは、多分この人ぐらいだと思います」